人生時間

自分史に残る 心のない仕事

私限定の話である。

私は高校卒業後、60歳に至るまで働いてきた。
別に珍しい話でもないし、威張れる話でもない。
でも、心構えは持っていた。

心のない仕事はしないようにしよう。と。

絶対にそう出来たか?
いつもそうだったか?
そんな風に考えたら、全部、いつでもって事は言えないかもしれないけれど。
自分の気づかないところで、結果的に心無い仕事になってしまったことも
あるだろう、きっと。

母親の遺影

母親の遺影がある。お葬式でつかった額縁である。
遺影はあるけれど、私は信心深くないので、飾ってはいない。
仏壇はあるけれど、小さな写真も飾っていない。
母の写真は、アルバムにいくつか残っているだけだ。

この遺影。
年末の大掃除の時に必ず見る事になる。
額ごと新聞紙に包んである。
毎年確認するように中を見るのだが、
そのたびに、私は怒りとは違う、残念な気持ちになる。
そして必ず、「心のない仕事」だと思う。

母は私が高校1年の時に亡くなった。
脳疾患で倒れてから13日後に最期を迎えたのだが、
この母親、大変なアウトローで、大酒飲みで(そのくせ酒に弱い)
世間の常識には一切縛られない人だった。
母親のアウトローぶりはご近所の方々にも知られていたので、
その分、もめごとはあまりなかった(もめると大変だから笑)

早くに、しかもあっけなく亡くしたので、もしあのまま母が生きていたら…
という想像が出来ない。
アウトローとしては、理想の生き方と死に方だったのかもしれない。

そして、その遺影だが。

目をつむっている。たまたま目をつむって映った、誰でもが持っているだろう写真だ。
誰が選んだのか、遺影なのに、目をつむっている。

そして、その目をつむった遺影の写真。目を書きこんでいる。
つむった瞼に、ペンでぱっちり目を書きこんでいる。

葬儀の時、お寺の本堂に飾られた顔に、私は見覚えがなかった。
近くに寄ってみたら、輪郭や鼻や口は母親だったけど、
目が「絵」になっていた。
それも、写実的に上手く書いた目ではなくて
よく魚の絵を描いた時にいれる「目」だった。
だから、まったくの見ず知らずの人の顔になっていた。

お焼香をしてくれた人たちにはどう見えただろう。
母を知らない人は、これが私の母だと思っただろうか。
これを普通の顔だと思っただろうか。
私は本人を知っているから、目が書き込みの絵だとわかるけど
他の人にはどう映っただろう。

葬儀なのに、なんだか恥ずかしく思った。
「お母さんはこんな顔じゃない」
一人ひとりに説明をしたかったくらいだ。
特に葬儀に来てくれた同級生には。

なぜ、そんな事に?

いろいろな事を想像する。

私は高校生だったけど、まだ身分的には子どもなので
葬儀に関する事の相談などは一切受けていない。

母が亡くなった時に、きっと葬儀会社の方から、町内会にその旨を
知らせてくれたのだと思う。
そして、町内会の人か、葬儀会社の人が家のアルバムから
遺影にめぼしい写真を選んだのだと思う。

母は、時々旅行をしていたので、スナップ写真は結構持っていた。
(貼っていた)
なので、なぜ目をつむった写真が選ばれたのかが全くわからない。
もしかして、アルバムを探せなくて、たまたま引き出しに
貼る前の件の写真でも入っていたから、それを使用したのだろうか?

真相はわからない。

でも、近所の人にしても、葬儀会社の人にしても、そんな写真を何故
選んだのか?
そこに何人の人がいたのだろう。
一人ではなかっただろう。

そして、その写真を葬儀会社から、印刷業者にまわす時、印刷をする
職人さんは何を思っただろう。
この写真でいいのか? この目は描いているな…?
そうは思わなかったのだろうか。

どの段階で、あの「目」を書き込んだのか?

途中まで進んで、もう時間的に探す事ができなくて、あの遺影が出来上がったのか?

そして、誰が「目」を書いた。

私はもちろん、相談も受けていないし、父も受けていないはずだ
(一緒にいたから)

きっと、何人もが立ち会って作られたあの遺影。

心ある人は一人もいなかったのか。
家族に確認をとろうと思った人は一人もいなかったのか。
お寺の本堂で、改めてあの遺影をみて、心が痛まなかったのか。

様々な事を思う。

今、この世界で、あの遺影の事を知っているのは、もう私一人しかいない。
きっと、誰の記憶にも残っていない。
そして、私はいずれ死ぬ前には、あの遺影はお焚き上げをしようと思っているから、私の娘も知る事はないだろう。

毎年、大掃除の時に中身を確認する「新聞紙に包まれた遺影」

まったく、ひどいもんだ(笑)
と、少し笑う。もうまったく怒ってなどはいない。
そして、母もきっと、当時から怒ってはいない。
ただ、残念に思う。

あの通夜の時。
あんな誰の顔かもわからない写真の前で
15歳の私はずっと泣いていた。
写真に対する怒りなど、憔悴している私にはなかった。

心のない仕事。
それはすまい…と思った原点は
あの写真にあった気がする。

そんな事を改めて思った、2020年の大みそかだった。