65歳の日記

今世であきらめたこと

前世や来世に多いに興味はあるけれど、存在するのかどうか、それはわからないし、あっても無くてもいいかな?と思っている。

大事なのは、やっぱり今世(現世)だ。

ちなみに、死後の世界はあるような気がしている。

昨日、いきなり「今世であきらめていること」を実感した。

実感というより、発見した? ような気持ち。

何故なら、今まで一度も考えてこなかったから。

私は「歯」について、「今世ではあきらめている」という気持ちを発見した。

普段から「望むこと」自体が少ないほうなので(きっと)比例して「あきらめる」ことも少ない人生のような気がする。

家庭のことも親のことも、決して恵まれてきたワケではないけれど、月日とともにどうでもいいと思うから、諦めもしていない。

昨日YouTubeで歯科矯正の動画を見た。

矯正期間、約3年かけてみごとに美しい歯並びになったケースだった。

矯正前はコンプレックスをもっても不思議はないと思うような歯並びの方だった。

矯正期間もさまざまな過程があって、痛みの強い時期は不眠にもなり辛かったらしい。

だからこそ、耐え抜いて美しい歯並びを得た喜びは動画からも伝わってきた。

きっとこれからの人生では、コーヒーを飲んでも、小さなおやつを食べてもすぐさま歯磨きをするような生活をするのだろう。

「歯、第一主義」

きっとそうだ。そうに違いない。

それか、食事以外は一切食べないか。

それだけ、欲しかったものを手に入れた感激は抜けないだろうと想像する。

小学校3年生くらいの頃。私は小さな炭鉱のマチに住んでいた。

ある日、母親と歯医者に行った。

何をするのかの説明を事前に聞いていたかどうかの記憶はない。

ただ、あの時の気持ちと風景は今も忘れていない。

とにかく、痛かった。

でも、私は泣かなかった。

涙はきっと目頭まで押し寄せていたと思うけれど、普段から泣かない子だったので、我慢をした。

先生がそれはそれは一生懸命に処置をしていた記憶がある。

成り行きはわからないけれど、前歯が正常に生えてこないで、おそらく横にでもなって行き場がなかったのだろう。歯茎のなかでにっちもさっちも動きようがなくて、抜くしかなかったのだろう(私の想像)

だから、生えてもいない左の前歯は歯茎を切って、えぐって抜いた。

それが痛くて痛くて。

麻酔なんて、多分ほとんど効いていなかっと思う。

先生も力ずくでやっていたのを覚えている。

痛いのに、時間もたっぷりかかった記憶がある。

処置後、泣かずに頑張った私のことで、先生が母に言った。

「今日は本当に頑張ったから、今夜はこの子の好きなもの、食べさせてあげてください」

それで長い一日は終わった。

(ちなみに、好物を食べた記憶はない。おそらく痛みと甦る恐怖とでそれどころではなかったと思う)

私の左の前歯はなくなった。

「この歯、いりますか?」と聞かれたような記憶がある。

永久歯は乳歯と違って、根元が細長くなっている。まだ血がついたそれを見た記憶がある。

でも、持ち帰った記憶はない。

きっと、いらないと言ったのだろう。

前歯がなくなったあと、犬歯が抜けなかったので(抜かなかったのか)その後、永久歯の犬歯が前歯の位置にきた。

だから私の青春時代は、前歯不健全の状態だった。

無いのではなくて、欠けている? 欠けているよりは少ない。

抜けているよりは、少しある…みたいな。

そんな状態は、20歳の頃まで続いた。

それ以降は、少しお金をためて、差し歯にした。

初めてみる「前歯健全」な自分。

不思議だったけれど、多分嬉しかっただろうと思うけど、なんだか、しっくりはしなかった。

きっと、噛み合わせとか、微妙に喜べないなにかがあったのだろう。

前歯も問題だけれど、それ以前に、私はものすごい「すきっ歯」だった。

成人の歯が通常何本なのかを、何度も調べたけれど、私は本数を覚えられずにきた。

自分の歯が、明らかに少ない本数だったから、覚えられなかったのだろう。

すごく愚かな、バカな子どもだったから、ただでさえ「すきっ歯」なのに、隙間に爪楊枝はさんでおちゃらけたりする子だったので、なおさら「すきっ歯」には磨きがかかってしまった。

アホな子どもだった自分のせいでもあるから、人を責めることはできない。

が…。

私は乳児の頃に、両親の不仲のあげく母乳もなく、かと言って、お金もなかったから栄養は小麦粉だったと後に聞いた。

「だからお前は歯が弱いんだねぇ」と、母が他人事のように言っていた。

今なら訴えてやりたいと思う。

笑い。

母の言っていたことが、医学的に正しいかどうかはわからない。

もともと、本数が足りていなかったのかもしれない。

だから、本来のすきっ歯と、前歯犬歯状態で、私の「歯生活」はまったく恵まれていなかった。

母は言った。

お前は歯が弱いから、きっと30歳前に総入れ歯になるよ。

まったく、ひどい話である(笑)

しょうがないから笑っている。もう、母はとっくにいないし。

現在私は、まったく入れ歯ではない。

差し歯は何度か変わっている。(何度かは忘れた)

そしてすきっ歯は変わらない。

これまで歯医者には相当通った。

長い治療に入っても、ばっくれないで完遂した。

現在も歯医者には年に数度は健診と歯石とりに通っている。

40年近く通っているこの歯医者の先生は、こんな私の歯達をなんとか残し続けてくれている。

人生で、大きく感謝をしている一人である。

先生のお陰もあって、ここに至っては、初めて歯の健常者と並んでいるような気がしている。

多分、私の歯は、まだもつ。

健常者が入れ歯になるより、まだもつ気がしている。

歯はダメだけれど、歯茎は多分健康だと思っている。

私が諦めているのは、この歯を、インプラントにしたり、少しでも矯正してすきっ歯を解消しようと思っていない事。

今更…なのである。

矯正はそもそも年齢的に出来ないかもしれないけれど、インプラントは多分可能だろう。

でも、それはしない。

金銭的に無理だろうけれど、たとえお金もちでもしない。

今世はこれでいい。

物も噛めるし、歌っても、すきっ歯から発音がもれることもない。

これはこれで、人生、もういい。

もし、来世があったとしたら、美しい歯並びをもって生まれてみたい。

そうであることを願って、今世は見送りだ。

ただ…

最近、昔の写真を加工している動画が多くある。

写真が残っている偉人の「写真前後の顔」。AIが作ってくれている。

坂本龍馬や夏目漱石や野口英世などが笑っていたりする。

キレイな歯をみせて、屈託なく笑っている。

これを見る度に思う。

歯のある私の笑顔はどんなだったろうか。

大きく、口をあけて笑っている自分を見てみたい。

今まで一度も見たことのない自分を。

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