初めてギターを弾いてから、すでに40数年たっている。
それでも、私は「F」の音を出すことが出来ない。
それなりに練習をした過去もあるけれど、それでも結果は弾けない。
今では「手抜きF」を徹底しているので困りはしないけれど、最大の欠点のような気もしている。
ギター。私のできない事
ざっと、私の出来ないことを列挙してみる。
① Fコード
② ほとんどのバレーコード
③ 小指の動きが遅い
④ 3フィンガー
⑤ ピックが使えない
⑥ 大きな音が苦手
きっと、もっとあるのだろうけど、とりあえず並べてみた。
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練習はしたけれど正規の「F」が弾けない
私がギターを始めた頃、もちろん持つ以外に何もできない。
一番最初は1弦のみで「禁じられた遊び」を弾いた。
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昔の青少年はこの曲から始めた人が多かったのではないかと思う。
(今はあの曲自体を知っているのかが不明)
これだと、チューニングをする必要もないし、そもそも音を合わせるという事自体をまだ理解していない。
1弦の「禁じられた遊び」が弾けると、今度は簡単なコードを覚えることになる。
たいだい、Em・Am・Dm・C・G・Dだろうか。
これが弾けるだけでも、たくさんの曲をこなせることになり、いきなり視界が広がる気分。
この頃の一番の敵はまだ見ぬ「F」より「指の痛み」である。
コードの指を押さえる場所を記憶しても、痛くて押さえることが出来ない。
痛いし、音は出ないしで、ここでギター熱が冷めてしまう人も多いことと思う。
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ここが、まず堪えどころ。
痛い痛いと、指に息をふきかけて、その息の熱でさらに痛く感じる。
その悪循環をなんとか乗り越え、弦を押さえ続けると、割と早くに指にタコができて
痛みがなくなるし、音も出るようになっている(はず)
そうすると、俄然ギターが面白くなってくる。
ギターが弾けると、なんとなくモテるような気もしてくる(これは多分勘違いではない)
私が中学生の頃、「明星」と「平凡」という雑誌があって、アイドル情報が満載なので
みんな夢中になって読んだ。
その付録に歌の本がついていて、歌詞の上にギターのコードも載っていた。
ギターを弾かない人には、なんの為のアルファベットなのか、わからなかったかもしれない。
この本の、コードを見ながらギターの練習をしたものだ。
この頃になると宿敵の「F」は当たり前のように出てきていた。
私も、「F」を避けると多くの曲が弾けなくなるので、一時期は必死で押さえた。
けれど、結果はキレイに音を出すことは出来なかった。
だから、私は「F」のある曲を避けるようになってしまった。
「F」を避けるとつまらない
「F」が入る曲は明るいイメージがある。
昔のアイドルの曲は明るいものが多かったから、自然と「F」も多くなる。
避けてばかりではつまらない。
しょうがなく、私は簡易型の「Fもどき」を押さえることにした。
初めこそ、1弦2弦を人差し指で一緒に押さえることが難しかったけれど、それはすぐに慣れた。
避けて通った時間が長かったから、もっと早くに近道をするべきだったと後悔をした。
それからは、弾ける曲の数がいきなり増えていったものだ。
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そして、今。
途中何十年もギターから離れて、再び戻ってきたけれど。
私の「F」は今も変わらない。
テレビを見ながらでも練習を続けたら弾けるようになると、きまって達人は言うけれど
それもやったが、結果、やっぱり私は今も「F」をちゃんと弾く事ができないでいる。
弾ける人の指を不思議にさえ思う。
けれど、もう、これでいい。
「雰囲気F」が弾ければそれでいい。
何も困りはしない。強がりが少し混じってはいるが。
難しいバレーコードは弾かないと決めた
「F」が弾けないのだから、他のバレーコードも弾けない。
特にBmが苦手である。
ただ、BmとCmとGmはキレイに音は出ないけれど、押さえることにしている。
登場するからと、その曲は弾かない…という選択は、もうしていない。
かすれた音になるが弾くようにしている。
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私は手が大きくて、指が太い。
力で言えば、押さえる事が出来て当然のように思うけれど、実際は押さえきっていないのだろう。
完全な音が出ることはほとんどない。
けれど、出なくても、それこそ雰囲気でわかる(笑)
聞いている方も、そこは「あぁ、そうか」とわかってくれていると思っている。
近年、目新しい難しいコードがやたらと出てくる。
夜空の星で、今だに「新星」が発見されているように。
この新星たちに付き合っていては、時間がいくらあっても足りない。
たとえ時間がたっぷりあっても、習得もできなければ、押さえきることもできない。
だから、弾かない。
コードの表記もやたらと長い。
そのコードの元となる物で、適当にごまかすことにしている。
ただ、これは、新しいコードをなんとか押さえて弾いてみると、なぜそのコードが必要なのかがわかる。
一味も二味も違う。深さを感じる。
けれど、もういい。弾けないものは弾けないから。弾かない。
小指が遅い
私は、手の大きさのわりに、小指が短い。
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形が風変りだと思っていたけれど、それは「短い」からだというのが最近わかった。
この小指、困ったことに動きが非常に遅い。
気持ちと動きがかみ合わない。
目的の動作から必ず1拍遅れる。
私がいくら早くしようとしても、小指はその指示を受けない。
何かが断裂しているわけでもない。ただ遅いのである。
これは個性かと、諦めるのが相当なのかと思うが。
謎である。
3フィンガーは出来ないが
どうしてなのか、私は3フィンガーができない。
でも、4フィンガーは出来る。
3フィンガーの曲はとても多いが、あのリズムがどうにも出来ない。
練習でなんとか出来ても、本番には出来なくなる。
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あのタンタカタカタンが身体に会わなくて、体内でリズムが崩れてしまう。
タンタカタカタンが出来なくても、タンタカタカタカなら出来るから不思議だ。
これはきっと、一生懸命に練習していた頃にこれだけをやっていたからに違いなく
この時期に3フィンガーをやっていたら、難なく弾けていたのだと思う。
そう思うと残念だ。
沁みついたクセはもう治らない。
「岬めぐり」はやはり3フィンガーで弾きたいと思う。
ピックが使えない
たまに使う事はあるけれど、基本ピックは使わない。
と言うか、使えない。
弦にひっかかる感触で滑らかに動かすことが出来ない。
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「力を入れないで、手の水を払うように動かすだけだよ」
…… ありがとうございます。
それが出来ないのです。
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おそらく、相当に力が入っているのと、苦手意識に囚われて機械仕掛けのようになってしまう。
だからストロークの時もピックは使わず、親指の脇?で鳴らします。
ただ、そうするとどうしても音自体は小さなもので、シャキシャキ感もない。
不思議に思うのは。
なぜピックを使う習慣を持たなかったのだろう。
昔は騒音に対しても寛大な世の中だったのに。
大きな音が苦手
いつの間にか、大きな音が苦手になった。
若い頃は特に気にしていなかった。
騒音に分類されるものでも、特に苦手でもなかった。
けれど、今は大きな音は苦痛である。
だから、自分がピックを使って大きな音を出すことにも抵抗があるのだと思う。
声も同じ。
大きな声は出せない。
若い頃は大声も出せた。
子育ての時には、自分でも驚くほどの大声で遊んでいた。
今は全く出さない。
それは生活で必要性がなくなったからに違いないと思う。
それがギターを弾くときの声に大きく影響している。
この時ばかりは、もっとちゃんと声を出したいと思うが、それが出ない。
もどかしく思う。
ただ、出なくなった声もそれは「味」のひとつかな…とも思う。
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もし、災害がおきたらどうだろう。
きっと、その時はうんと遠くまで届く声が出るような気がする。
その不測の事態のために、今は出し惜しみをしているのかもしれない。
まとめ 出来ないことが多くてもギターは楽しく弾ける
ざっと、ギターにおける私の「出来ないこと」を並べました。
皆さんと比べてどうでしょうか。
きっと、私の方が多いと思います。
私は始めた時期こそ古いけれど、途中離れていたので通算すると10年足らずかと思います。
きっと他の10年キャリアの人は、私から見るとビルの屋上にいるように思います。
それは、昔むかし、後からはじめた男子がすぐに私を追い越していったのと似たような感覚です。
私はもう、今から一生懸命にギターの練習をしようとは思っていません。
練習だけをする時間は勿体ないからです。
その分、「ごまかす技」は磨きたいと思います。
私がこれからブログに載せていく楽曲で、何が出来ていないのか、どこをどうごまかしているのか。
それを見ていただければと思います。
それが、自分は未熟だと思っている誰かの参考になってくれたら…と思います。
音楽は、技量よりも、楽しいことが大切だって誰かが言っていました。
… あ、私でした(笑)
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