65歳の日記

職場の人とは付き合わない話

私は、仕事関係の人とは個人的には付き合わない。

LINEの交換もしないし、電話番号も教え合わない。

というか、履歴書に書いただけで、あとは誰からも聞かれない。

もちろん、こちらからも聞かないし、知りたい人もいない。

職場のグループラインのことをチラッと聞いたけど、誰だれの何なにのせいで、○○さんはグループから抜けただの言っていたので、面白い話だと思ってただ聞いていた。

一緒に働いているのに、抜けただの、新しくしただの、実に面白く、気味が悪い。

どんな喜怒哀楽に流されているのか。

同じ時期に入った人にだけは、私は親近感はもっているけれど、それでも近づくことは決してしない。

気持ちよく挨拶を交わして、ほんの少しだけ(数秒)話す。この程度。

それで十分だと思っている。

でも、付き合いはしないけれど、どんな場面でも、先に挨拶をすること、これは徹底している。

少し、ムダに大きな声で。

陰湿に見えることは避けたいから(笑) ← 本質は陰湿だと思うので(笑)

新卒で働いた頃は、公私はほとんど混同していた。

同期も、近い先輩後輩も、好き嫌いで分けてはいたけれど、付き合いはあった。

それが普通だと思っていたし、付き合うことが面倒だとも思っていなかった。

一人でいることも好きだったし、大勢でいることも苦ではなかった。

今思うと、若い時に多くの付き合いを持っていて、良かったと思う。

それから、数年後、私はある個人経営の会社に入った。

特殊な商品を作るメーカーの子会社なので、人間関係はとても小さくなったけれど、良い環境だと思って過ごしていた。

数年後にその会社に社長の次男が入社した。

社長が免停になってしまったので、その期間の運転手のつもりだったが、そのまま継続して会社に残ることになった。

彼は、私より6歳くらい年下で、もと長距離のトラックに乗っていて、それはそれは真面目で責任感の強い青年だった。

若い頃は、相当にヤンチャをしていて、暴走族にも入っていてそれなりに悪いこともしていたようだけれど、その世界からはすっかりと抜けていて、ひたすら真面目人間だった。

あまりに、真面目なので、私たちは合わなかった。

私も、どちらかというと真面目なので、磁石の避け合いのように、お互いに牽制をしていた感じ。

私も疎ましく思っていたから、彼も同じように思っていただろう。

お互い若くて、顔に出るし…。

その彼と、急激に近しくなった。

おそらく、この瞬間だっただろうというのを覚えている。

私が社長についていたウソを何気なく彼に「あれはウソ」と教えた瞬間だったと思う。

その時にきっと「あ、この人もウソつくんだぁ」と思ったのが心の扉を少しだけ開いた瞬間だったと思う。

少しだけ、笑っていた彼の後ろ姿を今も思い出す。

それから、彼は私を信用するようになった。

姉と言ったらおこがましいだろうから、親戚の信用できる姉ちゃんくらいの存在になったと思う。

私も、彼を心底信用した。

彼が結婚をした時、弟の結婚って、こんな風に感動するんだろうなぁ…と、思った。

プライベートには、お互いに踏み込まないでいたけれど、相談事はよくした。

仕事の内容が理解できるので、そのキツさもよくわかっていた。

その頃まで、私は公私ともに付き合うという事に、何の違和感もなかったし(家族ぐるみ)むしろ、彼と同僚になれたことは嬉しかった。

もしかすると、私の人生の中では、彼が一番信用した人だったかもしれない。

数年後に、社長が業績不振の責任をとって引責辞任をし、彼が新しく社長になった。

けれど、落ち切った不振が戻らず、赤字経営は続き、ついに親会社の介入を受けた。

その時、私は事前にその内容を親会社から聞かされていた。

社長(彼)には内密という事で。

内密と言いながら、親会社の社長と常務が来た際に、あっさりと私が親会社との間を取り持った内通者のような扱いになっていた。

散々、厳しい事を言われた彼は、私までもが敵にまわっていたのだと思うようになり、彼自身もこのまま退職をすると決めた。

もう一人いた社員も整理のために退職勧告することになった。

彼が受けた「裏切り」のショックは大きかっただろうと思う。

私は決して、何も裏切ってはいないし、札幌に親会社の社長たちが来るから手配をするという仕事をしただけ。

彼が辞めるのなら、私も一緒に辞めるつもりでいた。

事務所は解散で良いと思っていた。

けれど、結局は、私だけが残ることになった。

私たちの仲は壊れた。

友情であり、同僚であり、姉弟であり…のような、不思議な間柄だったけれど、何も残らなくなった。私は彼にとって裏切り者になったのだから。

でも、その中で、彼だけが裏切りを受けたと思っていただろうけれど、私も彼から裏切られたという思いがあった。

それは、彼の出した会社の再建計画の中に私の解雇が表記されていたという話。

私を解雇して、妻に事務をさせて経費を削減するという内容。

これは彼は私には言わなかったけれど、親会社に申し出た内容だと聞かされた。

だから、私も同様にものすごくショックだった。

そうして、時間をおかずに彼は退職することになった。

親会社から人が派遣されて、簡単な引継ぎをしてからものの数日で彼等は会社を去った。

去る前は、この残務は全部やってからやめるから、心配しないで…と言っていたのに、何もかも、捨て去るように戻ってこなかった。

少しあとに、一緒に退職した人から聞いたけれど、彼は言ったそうだ。

「残務はたくさんあるけど、一切やらなくていいし、引継ぎもしなくていい。もう出てくる必要もない」

そうして、不明の残務と事務の私だけが残った。

この時に、つくづく、人を信用すると痛い思いをする…と思い知った。

悲しかった。愕然とした。

彼は多分、この思いを私より少し先に味わったのだと思う。

私は多分、ここで大きく変わったのだと自分で思っている。

仕事の関係者とは、仕事以上の付き合いは一切しない。

事実、それ以降の会社の同僚との付き合いは一切なくした。

失くしたと同時に、関心も持たないようにした。

これが良いことなのかどうかはわからないけれど、もう付き合いを持つ気持ちがない。

あれからも、現在までいろいろと環境はかわったけれど、仕事関係者とは仕事だけ、それ以外はまったく必要ないし、ムダな時間と感情だと思っている。

そんなに変わるほど、あの一件は重かった。

私があの会社を辞める2年ほど前に、彼から会社に電話があった。

前社長(父親)が地元の滋賀県で亡くなったらしく、その前社長の所持していた書類で不明な事があって、私が何か事情を知らないだろうか…との内容だった。

彼は、電話に出たのが私だという確信がなかったのか、自己紹介からしてきた。

私は、名乗る前から、彼だと思った。彼の声だった。

もう、わだかまりもなくなっていたから、ただ懐かしかった。

私の知っている範囲で、その事情の説明はした。

彼と少しだけ、近況を話して電話をきった。

また、トラックに乗っているらしい。

住まいは転居をしたそうだ。

また何か、わからない事があったら電話頂戴。

そう言って、電話を切った。

あの一件から時間が過ぎてから、よく思っていた。

誤解があったかもしれないし、親会社の策略に乗せられたかもしれないけれど、できるなら、もう一度彼と仕事をしてみたかった。

誤解や多少の裏切りがあったのなら、お互いに許し合えたらと思った。

信用信用と書いたけれど、私は彼以上に私を頼りに思ってくれた同僚がそれまでいなかったのでないかと、今にして思う。

こんな事がなく、今に至るなら、私も人に関心をもったり、連絡先の交換をし個人的な付き合いをすることもあったかもしれない。

けれど、これはこれ。

いつでも、選んだ今が正解。

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