人生時間

バトンの夢

TOKYO2020がついに終盤を迎えた。

地元だからってこともあるのか、日本はメダルラッシュのようだ。

しかし、私はほとんど関心がないので、何も見ていないに等しい。

流れる情報で結果を聞き流しているにすぎない。

でも、そんな中、400メートルリレーは残念だった(これもリアルでは見ていない)

走るという競技では、日本は肉体的に勝てないんだと思い続けていたけれど

今ではオリンピックでメダルを狙えるようになって、

関心の無い私でさえ、今回はどうだろう…と期待をしていた。

バトンミスがあって、結果としては残念だった。

でも、外野の私らが残念がってもしょうがない。

本人たちが何より残念だったのだから。

バトンリレーって、本当に難しいんだから。

バトンに賭けた青春

大きく出てしまいましたが、大きな話ではありません笑笑

小さな田舎町での中学のリレーの話です。

私たちの中学校は1学年が4組。

1組、2組~という感じで、私は3年間ずっと1組だった。

おまけに担任も3年間同じだった。

担任の専攻は美術で、北海道ではなかなか著名な画伯でもある。

お付き合いはいつの間にか無くなってしまったが、風の噂ではお元気らしい。

この担任の先生がいわゆる「熱血」なのである。

とにかく、やるからには他のクラスに負けるわけにはいかない。

担任の熱血の根源は「負けず嫌い」なのである。

過程が重要なのではなく、結果がすべて。

その為には、星一徹になる人なのである。

星一徹は、当時30代の初め、本人も現役のスポーツマンであった。

生徒からは「アナグマ」と評されていたけれど、バレーボールに興じている姿は

中学女子を、少しときめかせるものがあった。

私たちが中学3年。

その時の星一徹の情熱の矛先は「春の記録大会」のリレーだった。

振り向くな

学年のクラス対抗で400メートルリレーがあった。

ただ、リレーも選抜と混合があるので、学年では男女と混合で3種目となる。

そのクラスによって、選抜に力をいれるのか、混合に力をいれるのかを決めることになる。

星一徹のクラスは3年間を通して、選抜に力をいれた。

そして、私はその3回ともに選抜の選手となった。

星一徹は、負けるわけにいかないこの戦いで、「バトンリレー」こそが勝機につながると指導した。

1、2年の事はよく覚えていないけれど、3年の時の指導は厳しかった。

たかが、クラス対抗のリレーとは思えないくらいに、つきっきりで熱血な指導をされた。

「絶対に振り向くな!」

「掛け声のあとの歩数でタイミングを計れ!」

「だから、振り向くな、コラー!!!」

これを放課後何時間もやらされる。

一徹が真剣に見ているから、ズルも出来ない。

私たちは、とても真面目にその特訓に取り組んだ。

そして、その大会の日。

誰も振り向かない見事なバトンリレーで、私たちは他3クラスを制して優勝をした。

ただ、実は第一走者から第二走者にバトンが渡る時、そのバトンを落としてしまって

少しタイムのロスがあった。

それでも、大会の新記録を塗り替えて、私たちは優勝をした。

私はアンカーだったので、テープを切った。

一徹がガオガオ言って、叫んで喜んでいた。

クラスも大盛り上がりで、こういう一体感は、一徹のクラスならではのものだった。

しかし、タネを明かしておこう。

実は、4クラスのうち我が1組だけが、選抜に力を入れていた。

他のクラスは、混合に力を入れていて、足の速い人は選抜には入っていない。

だから、必然的に、私たちが勝つことはほとんど決まっていた。

それは、大会の前からわかっていたことだ。

それでも、一徹は「勝ち」にこだわった。

振り向かないバトンリレーにこだわった。

私たちも、そんな暑苦しい一徹に付き合った。

あんなセピア色の写真のような想い出が、こんなに懐かしくて

楽しかったなんて、歳をとったからわかるのかもしれない。