65歳の日記

初老こそ身体を整えなくてはいけない

「2025年問題」という言葉をよく耳にするようになった。

おそらく、ほとんどの大人の日本人はわかっているだろうけれど、実は私はよく知っていなかった。

テレビやニュースを見ないせいもあるし、ネットでの情報は自分から選択ができるから、どうしても偏ってしまう。

それで、2025年問題を改めて検索をしてみた。

結果、既にうんざりするほど、知っていることばかりだった。

先日65歳になった頃に「介護保険の保険証」なるものが届いた。

大事なものなんだな…という意識しかなった。

案内には保険料金は後日送りますって書かれていたけど、目からみて足に抜けていた。

その納付書がつい先日届いた。

正直驚いた。目をむくほどだ。

私は年金を受給しつつ、パートで給与もいただいているからか、納付の金額は想像よりずっと多かった。

想像の金額が少なかったので、自分の甘さにも呆然とする。

「これを毎月払えってか?」

足元がぐらつく思いだ。

ずっと以前に、年上の友人が介護保険の2重取りだ!と熱弁をふるっていたことを思い出す。

その時私は少し冷ややかに見ていた。

もっと、真剣に聞いておくべきだった。

彼女は先輩なのだから。

長く会社員として働いていたから、今、当然と思いながら年金をいただいている。

若い人からみたら、逃げ切る老人に映るかもしれない(いや、映っているはず)

そう見えるかもしれないけど、これからの老人はただ逃げ切るって事はむずかしい。

寿命の終着点が見えない中、いつまで動けない身体でつましく生きるのか。

医療は患者を死なせないことを正義としているから、病になっても自然と消えていくことも難しい。

自分で死を選ぶのは一番やってはいけない(ことのようだ)

今とこれからを支えていく若者は、身体の自由がきいても、時間があっても、それはそれで未来に対しては厳しいだろう。

しかし、健康と時間は何事にも代えがたい代物。

いろいろなモノやコトがAIに代わられてしまうだろうけど、時代と肩を並べてうまく生きるコツをつかんでほしい(これは我が孫に思っていること)

さて。私たち老人候補。

今やることは愚痴をこぼすことではない。

今の若者よりも、私たちの方がおそらく少しは恵まれているはず。

季節ごとに痛いところが変わったり、振り向いた瞬間に振り向いた理由を忘れたりもする。

人間関係で疲弊したり、物価高に頭や目をやられたりもする。

いつまで続くのか…とも、思ってしまう。

でも、とりあえず、今やることは健康を保つこと。

できれば、外に出るなり、在宅でもいいから何か職をもつこと。

趣味でもいいけど、そこからほんの少しでも収入を得る方法を考えてみる。

収入を得て、自分でも消費をする。

なるべく病院にかからなくてよいくらいの体調を保つ努力をする。

少ない年金が入ってくることばかり考えないで、自分でも社会に納めることを考えないと成り立たないってことを理解したい。

まずは、身体だ。頭だ。

初老だから、まだ余地はあると思っている。

老人の域に達したら、ゴメンしてのんびりさせていただく。