65歳の日記

路上ライブが流行っていたころ

今でも「路上ライブ」をされている人はいるだろう。

札幌なら、大通公園で活動されているのをYouTubeで見ることがある。

ふた昔くらい前、路上ライブが一気に流行って、普通に歩く「その辺」でギターを鳴らしている若者が多くいた。

なにか聞こえる…

と思ったら、ふいにギターを弾いて歌っている若者が視界に入る。

路上ライブからデビューして成功をしたアーティストが出てきた時代で(詳しくはわからないけど)それに倣ったのだろう。

まだまだのどかな時代だった。

今、公園以外の市街地や公共の場で同じことをしたら、即通報されるだろう。

「音」を許さない世界で、世知辛い。

路上のライブではないけれど、昔は防音などほど遠いアパートで、ガンガンギターを弾いて歌っていた人がいた。

自分もそうだったかもしれない。

しかし、私は大声が出せる声帯ではないので、きっと大人しい部類だったろうと思う。

当時通っていたギタ友のアパートはギター音楽のるつぼだった。

アパートから少し離れていても、彼の鳴らすギターと彼の怒鳴り声に近い声は聞こえていた。

ギターを弾いていなければ、レコードをかけていた。

今なら迷惑レベルに達するくらいの音量だったろう。

もちろん時間帯は考慮していたけれど、それにしてものどかな時代だった。

街を歩いていると、路上ライブではないけれど、イベントでの活動を見ることがある。

大道芸人のような催しもあるけれど、あまり興味はない。

でも、音楽は違う。

ピアノなら、足をとめてしばし聴き入る。

ギターが入っている構成なら、なるべく近くまで寄ってみる。

そして、手元を凝視する。

おそらく、音楽をまるごと受け止めて酔いしれる(あるいは評価する)という事を、私はしなかったし、出来ないのだと思う。

ひたすら、ギターのプレイヤーの手元を見る。

そんな人前で披露できるのだから、腕はたしかだ。

そして、感心する。

真似をしようと思う心はない。 ただ、感心する。

札幌のどこかの路上ライブやイベントで、前列を陣取り、笑顔もなく、プレーヤーの手元を凝視しているおばさんがいたら、私である可能性が高い。

自分が若かったら路上ライブをしただろうか。

もし、札幌に出てこないで田舎に残っていたら、仲間とやったかもしれない。

それがきっかけで、何かしらの音楽の道に入っていたのかもしれない。

過去の夢はふくらむ。

私の見ている「令和の虎」で、逆の投げ銭をしてライブをおこない、収益で音楽学校をひらきたいという挑戦者さんを見た。

まだ、路上のライブにロマンをもって、実践されている方がいるのが、なんとなく嬉しく思って、昔の札幌市白石区にもポコポコ現れていたライブマンを思いだした。

もうおじさんになっているだろう、ライブマン。

夢は持ち続けてほしい。