人生時間

水曜日の手紙

朝の情報番組で、カプセルトイ(ガチャだと思うが)で
「妹からの手紙」という物が紹介されていた。

200円を入れると、カプセルが落ちる。
中には、一枚の手紙が入っている。
今回紹介されたのは、兄に向けた妹からの手紙。

内容は省略するが、途中、え?何があった?って思わせる内容で
最後にはちゃんと「オチ」があって、笑って終わり。

ひと月200個売れるとヒットと言われる業界で、ひと月500個を売り上げる
スターカプセルとなっているそうだ。

なるほど。
考えるなぁ。
これを見て、即座にいろいろなパターンの手紙を考えはじめた人が山といるのだろうな…って、他人事なので見ていた。

そこで、思い出した事があった。

熊本発。水曜日の物語

2016年までのおよそ3年間、熊本に「水曜日郵便局」なるものがあった。

日常の中の、ど真ん中で、おそらく勤め人には一番長くつらい水曜日。
それでも頑張る、そんな何気ない日常を「手紙」という形で交換しようという主旨のものだった。

匿名性が守られて、年齢や地域は書いても書かなくても良い。
集まった手紙は、一応係の人がチェックをして、問題がなければ無作為の振り分けをして、まったくの他人に届く仕組みとなる。

私も一度だけ参加をした。

この取り組みはおよそ3年間続いたらしく、私が知ったのは、閉局が近く、
チャンスとしてはもう時間がない、3月に入ってからだった。
(確か、3月31日で閉局、締め切りだったと思う)

ギリギリ間に合ったので、閉局前に届くようにと、手紙を書いた。

もちろん、誰が読むかわからない。
50代後半の私の手紙に、嬉しくない向きもあるだろう。
いや、逆に嬉しく、楽しく読んでくれるかもしれない。

まぁ、いい。
お相手を考えたら、何も書けない。

そうして、私の「水曜日」を書いて、投函をした。

2016年4月。熊本地震

見知らぬ誰かから、いつ手紙が届くのだろう。

時々思いだしては、その手紙を待っていた。

そんな時に起こったのが、「熊本地震」だった。

余震が本震だったように、後から聞く情報の方がひどくて、
重い気持ちになりながら、それでも、何かしないといけないような
気持ちを持って、ニュースを見ていた。

そして、少したって思い出したのが、例の「水曜日の手紙」である。

この惨事において、このようなプロジェクトが続くわけないな。

きっと、このまま匿名の手紙は、どこかに保管でもされて終わるのだろう。

そんな風に思っていた。
それが当然だと思っていた。

届いた一通の手紙

とうに諦めて、忘れていた頃。
その年の夏頃だったろうか。秋だったろうか。

一通の手紙が届いた。

住所はまさに、あの熊本の郵便局である。

手紙が届いた感動よりも、地震で大変だったのに、これを送って下さったスタッフの労力に感服した。

こうして、この有期の郵便局は消えた。

この後、このような取り組みは、宮城の架空郵便局が行っていたような情報を見たが、検索をすると、すでに閉局したような事が書かれていた。

残念だった手紙

その手紙であるが。

人様から送られてきた手紙に対して、「残念だった」と書いてしまう、私の方が多分「残念な人」なのだとは思うが…
心にズシンと重みを残した残念な手紙が入っていた。

関西の30代の女性で、先日、父親を亡くしたそうで。
アルコール依存症で、多くの人に迷惑をかけて、親戚にも疎まれていて、亡くなった事を惜しんでくれる人が誰もいない。

しかし、私は父がどんな人でも、好きであった。

父を皆が悪く言う。

規定では、便せんは1枚であったはずだが、彼女の手紙は2枚にびっしりと書かれていた。

重いなぁ…と、読みながら思った。
でも、きっと、最後には明るい物が書かれているのではないか?
それでも、前を向く! みたいな。

けれど、それは書かれていなかった。

手紙は最後まで、親族の悪口に終始していた。
親族を許さないと書いていた。

そっと、しまった手紙

文書でも、手紙でも、私は最低2回は読む。
1回では、つかめないから。

けれど、この手紙は、一度だけにした。
その後も、一度も開いていない。

もっと読みこめば、本当は少し違ったのかもしれないが、
読む気力がなかった。

「憎悪」は、生気を取られる。

その時の「彼女」が、いつか、あの日の手紙を思い出したときに、
やっちまったな…!って、過去を「てへぺろ」って笑ってくれていたら
いいなぁって思っている。

「その先」に惹かれて

この「水曜日郵便局」に惹かれた、もうひとつの理由がある。

それは。「その先」という住所

熊本の住所があって、なんだか、条丁目もなくて、大雑把な住所だったけど
住所の最後は「その先」

その先って?

この住所を見るだけでも、そこに行ってみたくなった。

網走番外地より、すごくない?

さて。
ならば、私は何を書いたのか。
私の手紙を、誰がどのように読んでくれたのか。

「長く音楽に触れてきて、そして、長く音楽から離れていたけれど、
また、音楽に帰ってきました。
ブランクは大きいけれど、少し練習をして、勘を戻してから、ギター1本で
施設(老人施設)を回って、弾き語りのボランティアをしたい」ぞ…と。

まだ何も実行できていない私こそが、てへぺろ…なのである。