人生時間

刀好き。刀匠展に行く。

たまたま見ていたテレビで「刀匠展」の宣伝を見た。

ほんの一瞬のコーナーを私は見逃さなかった。

日本刀が好きなのである。

日本刀も好きだが、「鍛冶仕事」が好きなのである。

赤く灼けきった鉄や鉱物をカンカン叩いて形になっていくのが好きなのである。

自分でトンテンカンとやったことがあるワケではないけれど、そんな動画やテレビなんかは時間を忘れて没頭して見ている。

だから、日本刀の展示があると見て、速攻行くことを決めていた。

場所は「白老」

私の住んでいる札幌からは一般道で2時間半くらいを要する地域にある。

私には、隣の苫小牧市は縁もゆかりのあるのだが、白老にはまったくない。

昔むかし、社員旅行で寄ったことがあるくらいのものか。

だから、この地域に「仙台藩」の「白老陣屋」があった事も知らなかった。

いや、仙台とのつながりがあることも知らない。

そんな内地とのつながりを私は本当に知らないでここまで来てしまった。

(私たち道民は本州を「内地」と呼びます)

これから、すこしずつでも新しい知識を頭にいれたいものだ。

さて。

いきなり豪華メンバーにお出迎えをいただいた。

仙台藩のお役人と地元アイヌのおじさんだろう。

古銭や調度品などは常設の展示物のようで、品数も多くて、歴史を知るには良い機会になりそう。

さて。

せっかくではあるが、目的はこれではない。

早速、刀匠展のコーナーに入ってみた。

ふたつに別れている部屋に、展示物はかなりあった。

見ごたえもあって、種類もたくさんあったが、何より「美しい」

ライトの反射もあって、想像以上の美しさだった。

長剣で棚に並べているものとは別に、短剣などはケースで横並びになっている(写真左端)

普段は何気なく時代劇などを見ているが、こうしてみると用途も切れ方も違う物があるようだ。

今回はどうしてか、短剣が気になってまじまじと眺めてきた。

短剣と言えば「切腹」だろう(私だけ?)

いつも切腹のシーンをみると、短剣に半紙の束を数回まいて手に持つわけだが、あの半紙が巻かれた状態を想像してしまった。

半紙が破れて、手のひらが切れたりはしないのだろうか…。

切腹のシーンではいつもこれが気になっていた。

いや、もはや、手が切れるなどは問題ではないのだろう。

そういう風に考えながら見ていたから、短剣の多さでお腹がいっぱいになってしまった。

日本刀は美しい。

十分にお手入れをしているからなのだろう。

現実のお侍さんの腰にあっただろう刀の実態はどうだったのだろう。

これほどの美しさを保っていたのは、ほとんどなかったのではないだろうか。

それにしても、美しいが恐ろしい。

銃刀法などがなくて、こんな凶器を持ち歩いていたなんて、本当に恐ろしい。

日本刀が好きだと言いながら、この時代に生きていなくて良かったとつくづく思う。

十分に満足をしたけれど、今度はいつお目にかかれるだろうか。

今度は作業を直に見てみたいものだ。

さて。まったくの余談です。

実は私、日本刀よりも好きなものがあります。

それは「鉄砲」 ピストルです。

日本刀は年齢を重ねるごとに好きになったけれど、「鉄砲」は物心がついた時には好きでした。

お正月などでお金をもらうと、かならず鉄砲を買いました。

銀玉鉄砲であったり、紙の火薬を叩いて音をだす物だったり、ただのプラスチックだったり。

現代とは違って、お正月の三が日は絶対にお店が開かない時代。

1月の4日になると、雪の坂道を転がるようにくだって、駄菓子屋に飛び込んだ。

いつもは1円の飴玉を買ったりするのだが、お金持ちだから、お札をにぎって「鉄砲」を買う(百円札の時代)

きっと、選ぶのに目がギラギラしていたに違いない。

(小学校低学年の女子です)

そして、迷って迷って選んで持ち帰る。

それがお正月の至福だった。

ある年のお正月。母から命令がくだった。

「鉄砲禁止令」だった。

もう、鉄砲買うのはやめなさい。

それが無駄遣いに思うからなのか、女の子だからなのかはわからない。

とにかく、もう鉄砲を買うのはやめなさいとの事。

今まで買った物もたくさんあったから、私はすんなりと言うことを聞いた。

鉄砲を買わなきゃいいんでしょ。

そして、私はまた坂道をだるまのように転がって、別な物を買った。

それは紫の房がついた400円ほどの「刀」だった。

母は呆れて、言葉を失っていた。

私の日本刀好きはそれが始まりなのかもしれない。