65歳の日記

子どもの頃「冤罪」をかけられた話

1966年の強盗殺人事件で、死刑判決を受けていた袴田さんの無罪が確定した。

冤罪であったなら、この時間の長さはむごいのひと言だ。

やってもいない事で犯人にされるのは、非常につらいし、伝わらないもどかしさは経験をしないとわからないかもしれない。

私の話で恐縮ですが…。

私にはもう覆せない「冤罪」がある。

多分、中学生の頃だったと思う。

私の家には、1964年の東京オリンピックの記念硬貨が1枚あった(1000円)

両親は、この記念硬貨が自慢だったらしく、家に来る客人によく見せていた。

しかも、プラスチックのケースから出して、手でベタベタさわって、普通の硬貨のように汚れきっていた。

見せてから(あるいは自分たちで見たりして)またタンスの中にしまっている。

大事なのだろうが、粗末な扱いではあった。

ある日、その記念硬貨が無くなった。

血相かえた母親から、盗っただろうと言われた。

いつもしまっているタンスから消えたらしい。

私には寝耳に水状態。

まったく知らない話。

盗っていないと反論したが、母はまったく信じなかった。

私以外に盗む人間はいないという(家族が3人だったから)

普段の行いとか、盗癖がどうとかの話ではない。状況的にだ。

この反論を、私は相当長い期間続けた。

やっていない事を説明するのは本当にむずかしい。

それならば、1000円硬貨で買い物をしたという証拠を出してもらいたい。

証人を連れて来てもらいたい。

3人しかいないから、お前しか犯人はいない!

これが母の一貫した言い分。

のどかな田舎なので、24時間、どんな時も施錠をしていない。

ウチに限らず、ご近所全部施錠していない。

留守の時だけ、「かけたふり南京錠」をしている(金具にかけるだけ)

だから、外から盗みに入ることは容易だけど、他に何もとらずにタンスの硬貨だけを盗むというのはないだろう。

私は、父が盗ったと思っている。

だから、そう言ったけれど、母は却下した。

父が盗るとか盗らないとかではなく、大人が盗る必要がないと思っているのだろう。

だから必然的に、いつも小遣いを欲しがる私が怪しいとの見解。

断じて、私は盗っていない。

どれだけ言いがかりをつけられても、面倒くさくなっても、やっていないことを認めるワケにはいかない。

だから、ずっと、盗っていないと主張した。

結果…。

母の中では、犯人は私になっている。

可愛くないことに、認めることも謝ることもない我が子の仕業。

この記憶をもって、母はあの世に行っている。

まったく、私からしたら、屈辱である。

強硬に言い張る人は、人の話を聞かない。

弁解の余地を与えない。

覚えてはいないけれど、おそらく、呆れ果てて私が2階の自室に戻ったのだろう。

父親を交えての話の記憶はないけれど、おそらく母からは聞いていただろうし、その時にどんな話になったのかもわからない。

もしかしたら、言っていないのかもしれない。

家庭内の事だし、大概のことは年数とともに笑い話に昇華してゆく。

けれど、これは笑い話にならない。

これは、私の名誉にかかわる問題だ。

家庭ではなく、学校や社会で受けたのなら、無罪を勝ち取るためには闘う必要のある話だ。

もう相手がいないから、再び話すこともできない。

真相は結局わからなかった。

言っても言っても伝わらない、信じてもらえない。

それなのに、証拠もでてこない。

お前しかいない、お前以外に誰がいる。

こんな問答は、もう生涯したくはない。

本当にやっていないことの証明はどうすれば良いのだろう。

あの時のもどかしさは、どうすれば良かったのだろう。

「冤罪」の情報を見る度に思い出す昭和48年ころの話。