65歳の日記

子どもとしての現役

昨日、職場の上司の姿が見えなくて、聞いてみたら忌引きだという。

お母さまを亡くしたらしい。

上司は間もなく70歳の喜寿を迎える。

だから、忌引きと聞いて少し驚きがあった。

でも、60代半ばの私たちも、今、親を看取る話が多い。

そう考えると、喜寿の見送りも珍しくはないのだろう。

90代後半、100歳と考えると当然ありうる事。

「現役の息子だったんですね」

上司は忌引き休暇だから会えてはいないけれど、気持ちの中でそう話しかけた。

私は自分が「現役の子ども」だった事が短かったので、正直子どもでいられる立場が羨ましい気持ちを持っている。

もちろん、そんなキレイごとですまない事がたくさんあるのは、承知している。

現役の子どもは返上してしまえば、戻ってくることはない。

以前の会社の上司は役員だったので、70歳以上まで働いていた。

とてもやんちゃでキカン坊だった。

商売上手で、仕切りやで、お小言が多くて、そして可愛くて、優しかった。

厳しい人だったので、「優しい」に気づくのは時間がかかったし、気づかずに去る人も多いだろうと思った。

私もその優しい部分に気づくのに、10年かかった。

根本の優しい人なので、きっと、ご両親(特に母親)に愛された人なのだろうと思う。

上司が70歳になったころ、ご両親がご存命だと知った。

99歳と100歳だそうだ(当時の年齢)

四国の「佐田岬」の近くにお住まいらしい。上司もそこで育った。

上司の特異なキャラと性格は、佐田岬でお母さまに「めんこい、めんこい」とされたからだ

ろう。

2代目社長の下で、ガシガシ営業をして、業績を伸ばし技術向上の指導もし、厳しく部下たちを引っ張った。

当然、ライバルもいれば敵も多く作った。

上司を嫌いだという部下も大勢いた。

食べ物にも好き嫌いが多くて、宴席で狼藉をはたらく事も多く、悪い歴史も作ってきた。

私はその「とんでも上司」が大好きだったけれど、嫌いな人も多かった。

どうも、ワシは嫌われている。

ワシはいつも一人でめし食ってる。

誘ってくれたら、営業教えてやるのに。

すっかりと煙たい人になったようだ。

そんな上司も、きっと、親元に帰れば、可愛いやんちゃな坊主に戻って、お母さまに甘えるのだろう。

そうして、均衡を保っているのだろう。

そんな風にいつも思っていた。

数年前、ご両親のどちらかが亡くなったと人づてに聞いた。

その後のことはわからない。

寂しさにちょっとだけ、泣いたにちがいない。

70年以上も、親と付き合えるなんて、羨ましい。

子どもでいられるなんて、本当に羨ましい。

その立場は、たった一つしかない特別席なんだから。