人生時間

62歳。耳の衰えを感じるリアル

難聴の話ではありません。

健康診断では耳の機能に異常はありません。

おそらくは、年齢に応じての事だと思うので、若い人とは比べる機能ではないと思います。

それが証拠に、「モスキート音」は全く聞こえません。

この夏からギターの弾き語りを動画サイトのyoutubeにあげています。

その為に、週に何回か自分のギターと歌を同時に録音しています(当然だけどww)

完璧になりようもないのに、少しでも良いものを…を思い、何度も何度も録りなおします。

途中で間違えたりするので、録音の数は相当数になります。

最後まで録音が出来たものを確認すると、だいたい「え…?」と思います。

自分の音の外しっぷりに唖然とするのです。

意図的に音程を外すのは手法としてあるけれど、私はほとんどそのような上級者のやる事はしません。

楽譜があれば、ほぼ楽譜通りの歌いかたをします。

楽譜の主旋律が一本の線であったら、線にかぶるのが正規の状態であるのに、ところどころ、その線のほんの少し上を声がすべっている。

そのまま上の線で走り続けている。

いつかは戻るのだけれど、それまでは数小節はずしたままになっている。

ギターの音が合っていない時は、リアルにわかっている。

しかし、声がわからない。

発している時に、その外しっぷりをわかっていない。

これが私にとっては「事件」である。

音楽は昔から好きで、ギターを含めて音には慣れ親しんで育った。

そして、高校の時は3年間「吹奏楽」で耳を鍛えられた(そのつもりでいた)

部活で立派なチューナーを買う前は、自力で音を合わせていた。

なかなか正しいチューニングが出来たつもりでいる。

しかし、ある時期に、衰えを感じる前兆があった。

それは、「音叉」が使えなくなったこと。

長年、ギターのチューニングは音叉でやっていた。

5弦をAの音にを合わせていく。

そこを基準に他の弦の音を合わせていく。

弦交換の時にも、最初から音叉を使う。

これが再びギターを弾き始めた50代になって、出来なくなっている事を身を持って知った。

特に弦を交換した直後のAの音を合わせることが出来ない。

すでに弾いている日々のチューニングはまだ出来るけれど。

この時に私は自分の実年齢を意識した。

もう音は拾えないんだな。

この時に感じた少なからずの傷心を、ふたたび感じる日がきたのである。

けれど、何もおそれない。何も後悔はしない。

ふたたびギターを弾き始めた時、すでに私は声がまったく出ない事を知った。

毎日、弾いて歌っていたことは過去なんだ(40年のブランク)

もう、あの日に戻ることはできないだろう。

あの若さを取り戻すことは出来ないのだから。

そう思ってきた。

私の自分の人生の「やりたいことリスト」に老人施設の歌の訪問がある。

そのために、昭和初期ほどの唄も覚えてきた。

しかしまだ、実践は一度も出来ていない。

この声では、まったく歌うことなどできない。

そう思うくらいに、上も下もでない。息継ぎもできない。

それは目標を一気に諦めさせるくらいのものだった。

しかし、ここにきて、私は少しだけ努力をした。

時節柄、ボイストレーニングには行く事ができない。

そして、時機を待つこともできない。

私は若くないからだ。

心を若く保とうと思っても、身体は歳に正直だからあらがえない。

だから、実践をした。

出ない声でも、はずれた音程でも、今やらなければ、明日はもっとダメになるだろう。

声が出ない事もあれば、歯が抜けるかもしれない。

歯が抜けてしまったら、おそらく、本当にやめるだろう。

だから、声が出ないリアル。音をはずすリアル。耳が老いて行くリアル。

そのリアルを追いかけることが出来る「今」

「今のうち」にやりたいことをやっていくと決めている。

老いに勝てると思うのは幻想です。