人生時間

さよなら、固定電話。

このたび2021年11月30日をもって、我が家の固定電話を廃止した。

今後も復帰しないだろうと思い、休止ではなくて廃止することにした。

きっかけは、ネットの回線変更。

これまでも数回回線は変更していたけれど、その都度電話もそれに合わせての回線をつかって存続していた。

5年前のネット変更の時も、固定電話をどうするかを考えたけれど、やはり「社会的信用には必要」との思いでそのままにした。

それを今回はずした。

古い人間なので、やはりいい大人としては社会的には必要だろうとの思いはあったけれど、その場に居合わせた人たちの首を横にする様を見て、「そうか、そうだな」の思いに達した。

実際、私は賃貸の引っ越しを何度もしているので、番号は何度もかわって、そのうちに主流が携帯になったので一部の人以外に現在の番号は教えてこなかった。

うちにかかってくるのは、かたくなに携帯を持たない友人と、セールスの電話ばかり。

用事のある人はもれなく携帯のほうにかかってきて、私自身も固定電話を使うことは一切なくなっていた。

固定電話の世帯保有数は68.2%

人と比べる必要もないけれど、ついでなので固定電話の世帯保有数を調べてみた。

固定電話保有率(2021年6月18日総務省発表)

世帯ケース%
単身(非高齢者)23.7
大人2人(非高齢者)56.4
大人2人(高齢者)88.7
大人2人以下+子ども49.1
大人3人以上+子ども91.5世帯主夫婦と老親等
全世帯平均68.2
年代別ケース%
20代8.1
30代21.4
40代59.7
50代81.9
60~64歳86.7
65~69歳88.7
70~74歳92.2
75~79歳92.6
80歳以上~94.7

当然だと思うが年齢が上がるにつれ、保有率は高い。

これは、これまで私自身が考えていた「社会的信用」を気にする世代のためだろう。

それと、携帯電話等を使いこなせないという事もあるだろう。

それとは別に、携帯を持たないけれど、他との連絡を必要とする者がいる場合にも保有率は保つだろう。(小学校低学年等)

調査数字をみての感想は「若い層も意外に保有率が高い」だった。

この数字を見ると、自分の判断が少し早まったかな…と思ってしまうのは自分の考えに自信のない証拠かもしれない。

同じ調査のアメリカの結果は「全体の62.5%が携帯のみ」であるという。

アメリカに追随していくのが常なので、日本も同じ道をたどるのは間違いないだろう。

10年後には全体の保有数は50%を切っているように予想する。

なんだか、知ったように書いたが、誰でも同じことを考えるだろう…笑

電話さよなら記念

これまでの人生での電話の思い出をつづってみたい。

お時間ある方はお付き合いをいただきたい。

わたしのマチには昭和50年まで電話の普及がなかった

昭和50年に電話が普及されるまで、商店と学校、交番、消防などの一部施設以外に電話がなかった。

公衆電話も「青少年体育館」という体育館の表にあるボックスだけに設置されていた。

一般家庭でついていたのは、炭鉱のお偉いさんの家庭のみ(きっと会社でつけている)

これは貧しいのではなくて、電話の回線自体が普及されていなかったからだ。

だから、開通の計画がたったときに、マチのほとんどの家庭が申し込み、開通をまって、数か月の間の順番待ちが生じた。

家庭間でも数か月のタイムラグがあるから、いつ電話がつくかが学校での話題になったものだ。

昭和50年の電話フィーバーである。

横入りしてくる交換のお姉さんがいた

マチに電話がないし、友人だってもちろん電話がない。

だから不便でもないし、特に必要でもなかったが、私は札幌に友人や親せきがいたので、電話ボックスは時々使用していた。

あらかじめ10円玉を多めに用意しておく。

あの当時、マチと札幌間の通話料は3分で80円だった。

硬貨を入れる口はあったけれど、この電話、ダイヤルがない。

電話機本体の横に手で回すハンドルがついていて、適当に回すと「交換のお姉さん」が出てくる。

札幌○○番の○○○○お願いします。

交換のお姉さん

おつなぎします。
3分80円です。先にお金を入れてください。

「チャリンチャリン…」

こんなアナログでつないでもらう。

そして3分話す頃に、いきなりお姉さんが横から入ってくる(会話には入ってこないけど)

交換のお姉さん

間もなく3分経過しますが、続けますか?
続ける場合は先に80円入れてください。

こんな感じで3分ごとに交換の人が出てくる。

この交換の人の声が、電話の先方にも届いているのかは不明だ。

常に冷静な声の交換のお姉さんであるが、会話の内容によっては入り込むのは勇気が必要だろう。

電話の要件は、楽しいこともあれば深刻な内容もあるからだ。

時には恋人同士や片思いの告白もあるだろう。

…と思ったが、それはあまりないかもしれない。

何故か。それは、同級生や同じ地域ならば、相手も電話がないからだ。

社会人になってからの電話事情

マチに電話がついてからの興奮は、当分続いた。

電話がついたのが高校1年生の時で、卒業をする頃にはその興奮は去っていた。

それから、都会・札幌での生活がはじまるが、電話と風呂つきアパートは夢の第一歩で、当面のボーナスの使い道の計画は「電話設置」になったものだ。

同期のアパート組はみんな同じような感じで、電話など持っていなかった。

田舎の恋人と遠距離恋愛をしていた友人は、勤め先のスーパーで10円硬貨を「1~3本」用意してボックスにこもった。

1本とは、硬貨50枚が一束になってビニールでまとめられているもの。

電話器の上に置いた10円を、話をしている間中、チャリンチャリンと入れている。

そうして恋を育んだ。

電話の権利は72,000円也

あの時代、電話を設置するには72,000円必要だった。

毎月赤字になる生活の中、なんとかボーナスを利用してお金を作っていき、念願叶って電話をひいた。

だから、生まれた時から電話のある家庭に育った人たちとは、私や私たちは感覚が違った。

人生の目標であり、ステータスだったのだ。

先に電話をつけた友人を羨ましく思い、後に続く人からは羨ましがられたりした。

電話をつける前までは、どんな書類にも「電話呼び出し」として大家さんや、アパートや近所の人の番号を記して、それをあらかじめお願いしていないといけないから、それも面倒だった。

思えば、人付き合いもあって、のどかな時代でもあった。

電話は当分、宝物だった。

用もないにの、かけることは出来ないから、私はよく深夜に「走れ歌謡曲」というテレホンサービスに電話をして、歌謡曲を聞いていた。

楽しいムダ遣いであった…笑

熱望した電話だったけれど、電話の会話は嫌いだった

つけたくてつけたくて、頑張ってつけた電話だったが、私は電話で人と話す事は嫌いだった。

つけた当初こそはかけて話をしたけれど、そのうち、かける事もあまりなくなり、出来ればかけてきてほしくはなかった。

電話ギライは、その後もずっと続いて今に至っている。

携帯電話を使うようになって、約20年ほどになるが、まったくかけない。

かけないから、かかってもこない。

要件はなるべく、メールかLINEで済ませている。

これからの電話

これからは、間違いなく固定電話は減っていくだろう。

そして、年端のいかない子ども以外は携帯(スマホ)を持つことになるだろう。

もう家庭にかけた電話に、誰が出るかわからずに緊張をするという「恋電話」もなくなる。

いや、もうなくなっている。

情緒は確実に減っている。

けれど、便利はどんどん増えていく。

固定の時代には出来ていた「出ない権利」や「居留守」はもう難しくなっている。

頑張って72,000円を作ったあの頃、こんな時代がくることは夢でも見ることは出来なかった。

そのうち、携帯という「形」もなくなって、体内に何かを埋める時代がくるのかもしれない。

今生まれた人は、想像できない「それ」を見ることになるのかもしれない。