64歳の日記

これからのひと回りの干支

十二支を正しい順序で覚えたのは、大人になってから。

さらに独特の漢字で書けるようになったのは、実は昨年のこと。

そして、今は、今年の干支は……と、思い出している。

今年はついに年賀状もほとんど出さずにいた。

心配をされると思ったので、目上の人だけには、年内のうちに出していた。

でも、私の年齢上、目上の人はもうとても少ない。

今年は「辰年」。

私は「亥年」だから5歳の差がある。

兄弟姉妹なら丁度の差かもしれないけれど、実生活では丁度付き合いの薄い年齢差のような気がするけど、どうだろうか。

今年に入って、干支のひと回りについて考えることがあった。

年号はいつ変わるかわからない。

西暦は歴然とするけれど、想像ができない。

でも、干支で考えると、妙に実感として捉えることが出来るような気がする。

これは私が古い人間だからかもしれないが、次の○○年はいくつで、どんなことをしているか。

実際はどんな事をしているかなんて未来の事はわからない。

けれど、自分がどれくらい老いているのかは容易に想像がつく。

今年65歳になる私は、次の辰年は77歳になる。

どうだろうか。どんな未来の数え方よりもリアルに感じてしまう。

40歳で、次は52歳とはわけが違う。

確実に私は老人の枠の中に入っている。

自分が老人と思わなければ、気持ちが老いていなければまだまだ若くいられる。

そんな風に言う人はいるけれど、それはやっぱりキレイごとなのだと思う。

丁度今年は「前期高齢者」になる。

次の辰年には「後期高齢者」になることが決まっている(その呼び方がまだ通用していたら)

私が今取り組んでいる活動は、次の辰年まで続けることはおそらく不可能だと思う。

ブログのような書き物をすることは続けているかもしれないが(書く事は好きなので)、ギターで弾き語りをしてそれをサイトにあげるなんてことは、出来ないと思う。

まして、弾き語りをどこかの施設で披露するなんて、到底できないだろう。

何かで書いたけど、私が弾き語りをやめるだろう一番の理由は「歯が抜ける」ということ。

指が動かないとか、声が出ないだとかはまだ練習の余地があるような気がするけれど、歯が抜けてしまったらどうにもならないと思う。

おそらく入れ歯にするだろうけど、でも、入れ歯で歌うことを私は選ばない。

ここ数年、歯根に病巣ができる事が多い。

治療もしながら温存をしてもらっている。

でも、いつかは抜くこともあるだろう。

恐れているのは、抜くよりも抜ける…である。

抜けたら、諦める。と、決めている。

これからの干支のひと回りは、これまでの惰性の時間の使い方をやめる。

ひと干支ごとに、真剣に向き合いたいと思う。

自分の干支の「亥年」まで頑張りたいけれど、それは成り行きだ。

次の「辰年」に、今の気持ちを思い出して、この12年を振り返ることが果たして出来ているだろうか。

これからの干支のひと回り。

人生まだまだこれから! 

なんて、思っていない。人生はもうじき終わる。どう最期を生きるかだ。

もうひと花…なんてことがあるのなら、咲かせてみたい。