65歳の日記

突然作詞をしてみたくなった話

「作詞がしてみたい」

昨日の朝、突然に思った。

朝はベットの中で30分くらいネットのニュースや動画サイトを見る。

この時間が本当はすごくムダで勿体ないことだというのは、よくわかっている。

その分起きて、何らかの作業をすることが効率がいいのはわかっている。

わかってはいる…。

さて。

昨日の朝、YouTubeを見ると昨年か一昨年の「ピンクレディー」がいた。

怪物かと思うほど、容姿が変わっていない。

驚くのは、踊りも昔のままだということ。

昨日見たのは「SOS」だ。

大きく腰を左右に揺らすさまは、50年前の教室の風景を思い出す。

当時大人気で、教室には「にわかピンクレディー」がたくさんいて、皆踊りがうまかった。

懐かしいなぁ…と思いつつ、踊りに感心しながらも、私は「歌詞」に注目した。

歌はいつも、歌詞よりも曲に注目していたけれど、昨日は歌詞に心を掴まれた。

男性の功名な手口と、それに流されつつある女性(女の子)の心理が物語のようにすんなりと頭に入ってくる。

おそらく、この二人は「恋」をしてはいないな。

オオカミである男と恋と衝動がまだ区別のつかない女の子の微妙な心理…。

ちょっとハラハラするけれど、ニヤリともする物語風。

これを書いたのが、巨匠「阿久悠」氏。

あの、いかつい阿久悠氏である。

あの風情からはおそよ想像もつかない繊細な詞を多く遺した大作詞家である。

阿久さんと言えば、私の世代では昭和の歌謡史にいまも残るスターの多くを輩出した伝説のオーディション番組「スター誕生」の審査員である。

わずか中学生や高校生に対しても、プロの視点で話をして採点をくだすから、見ている視聴者も縮み上がる。

ステージにいる挑戦者はもっとそれ以上だっただろう。

都倉俊一さんもそうだった。

ただ、都倉さんは、その見た目が紳士で恰好良かったから、阿久さんとは少しちがった。

阿久さんは、見た目も怖かった。

およそ、女性目線で詞を書く人には思えなかった。

でも、あの頃ですでに大作家で巨匠であった。

阿久さんは、野球が好きだったらしい。

阿久さんは、校歌の作詞もされていたらしい。

きっと、お金ではなく、情熱をもってお願いをしたら書いてくれたのだと思う。

そんな武士のような印象もある。

中学からギターを弾いている私は、高校生の頃には自分で歌も作った。

シンガーソングライターである。

曲の旋律が「クソつまらない」ものばかりで、才能なんてゼロにも達しないものばかりだったけれど、何故か詞はどんどん書けた。

良いか悪いかは別。スラスラと書けた。

それだけ、言葉の感受性が豊かだったのだと、今にして思う。

何故なら、今はまったく書けないから。

キーボードに向かって、日常の駄文を書くのであればスラスラとムダに何でも書くくせに

作詞となると何も書けない。

一日中、白い紙のままだ。

なんの気負いもしないで、たとえば目に入ったものでも書いてみれば良いのに、それさえ出来ない。

これが「才能」という分野なのだろうと思う(無いという意味で)

そんな才能皆無の私が、急に「歌詞」を書いてみたいと思った。

今では、きっと100メートル50秒でもゴールできないだろうに、今から頑張ってオリンピックに出てみたいとラジオ体操からはいるようなものだろう。

でも、一遍の物語でも読むような、心の機微を書いてみたい。

笑ったり、涙してみたり、そんな3分くらいの物語を書いてみたい。

この思いを覚えていたら、人生のおわりにはひとつの物語を遺していたいと思う。

衝動だけれど…。

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