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最近Youtubeを検索して驚いたことがある。
自分の出身高校名を検索したところ、なんとヒットしたのが我が校の吹奏楽部の全道大会の演奏だった。
そして、なんと、その演奏者の中には私自身もいる。
Youtubeの中にいた18歳の私たち
私の学校はすでに閉校して跡形もなくなっている。だから現行の情報はない。
検索して、何か田舎の事や当時の同窓生の事がヒットしないだろうかと思ったら、自分たちの大会の演奏が流れてきた。
音源がレコードなので、あのプチプチとした聴き心地もそのままに流れてきた。
私たち(私たち同期)は高校1年と3年の時に、地区予選を勝ち抜いて全道大会に出場している。
場所は当時の札幌市にあった「厚生年金会館」だ。
私は、厚生年金会館でライトのあたったステージから、逆に客席を見たことを、実は心密かに自慢に思っている。
あの宗教にも似た、厳しい部活動で得たご褒美のような感覚だ。
1年の時も、3年の時もレコードとテープの斡旋があったので、私は両大会をレコードで持っている。
1年がシングルレコード。3年がLPレコード。
どちらも今ではCDに移し替えて、今だによく聴いている。
テープで買った人は、伸びたりして、もう聴けていないかもしれない。
私は当時の仲間に会うときには、ダビングをしてプレゼントをする事にしている。
音楽は、経験と年齢で雲泥の差がでる。
初心者から始めた者でも高校1年生と3年生ではまったくレベルが違う。
私たちが1年の時の3年生の先輩はとても演奏が上手だった。
ただ、ブースカブースカ鳴らしている私たちには、とんでもない上級者に思えたものだ。
今でも、この1年の時の演奏を聴くと、ため息が出る(感心して)
実際、1年生の私たちは(私限定かも)演奏の面でよく上級生の邪魔をした。
演奏途中で、異音を放って横切るっているのは、ほとんど私(私たち)だ。
それでも、パートを担っている以上は、欠けてはいけない存在。
全くの賭けであったに違いない。
6/8拍子なんてわからない
そんな私たちも3年生になった。
練習が厳しくて、1年365日のうち休みは試験期間を除いて正月三が日くらいだった。
日曜日も9時から18時まで。
指導されて叱責もされて、決して褒めてくれることはない鬼の指揮者にもついていった。
それは上級生になった自覚と、地区の予選に勝って全道の切符を手にしたかったからだ。
楽譜が読めない私(多分私たち)
指揮者もおそらく、部員の減少や演奏力の弱さを見越して、全道を狙えるのはこの年が最後と思っていたのだろう。
これまでよりも、さらに厳しい指導となっていた。
どうやってその曲を選択したのかはわからないが、用意された曲目は私たちには難しかった。
G.ヴェルディ作 「運命の力」
なんと、滅多にとりかからない「6/8」の曲だった。
これは恐らくの私の想像なのだが、私たちの中で6/8のリズムを正確に演奏できる腕を持った生徒はいなかったのではないかと思う。
私はまったく読めなかった。読めないではなく「刻めなかった」
4/4や3/4とかにしてくれたらいいのに…。
約分して「3/4」にしても、それはまったく違うものになってしまう。
ここで私は大いにつまづいた。
そして仲間もおそらく、つまづいている。
そこでOBである鬼の指揮者から命がくだったのである。
「お前たち、楽譜読むより、徹底的にレコードを聴いて、リズムを覚えろ」
私たちが「6/8」を読めていないこと、技量的に無理であることを多分、わかっておられたに違いない。
それで、私たちはしばらくの間、部室でレコードを何度も聴きまくった。
「耳で覚えろ!」
それに徹底した。
そして、何となくの感覚をつかむ事ができた。
余談になるが、この当時、私を指導してくれた二つ上の先輩が来校されて、言った。
「レコードで覚えちゃダメだよ。自分で楽譜を読まないと」
プレーヤーに向かって鈴なりになって耳をすませている、私たちに言った。
「それが出来ないんですよ…センパイ…」と、これは心の声である。
先輩は、私たちにはその技量が備わっているのだと思ってくれたのだろう。
そこまで行っていないんですよ、センパイ…笑
何とか、秋口の地区予選を突破できた私たちは、10月末の全道大会にむけて最後の練習に高校3年生のすべてを賭けた。
そして終わった
全道大会は、銀賞で終わった。
この成績には、銀であったけれど、大きく満足をしている。
B編成というAよりは小さな編成であったため、もし金賞になっても「全国大会」という道筋はなかったから、それも手伝って、私たちは満足のガッツポーズをした。
ほぼ3年間が報われた…
そう思った。
全道大会が終わると、3年生は引退をする。
これまで放課後は部室に直行する毎日だったが、いきなり放任をされたので、初めはこれまでして来られなかった友達との遊びなどに時間を費やした。
でも、なんとなく、遊び方がわからずにいたから、私たちは再びよく部室に集まるようになった。
そして、これまでは禁止をされていた、「別な楽器」を演奏してみたりした。
形になった思い出
引退をして、そんな自由な時間を手にした私たちに贈り物があった。
もちろん有料であるが、自分たちの演奏したレコードとテープである。
レコードは1年の時にもあったので、感激はそうでもなかったが、いざかけてみるとつい先日までの一生懸命な自分たちに出会えた。
あまりに一生懸命な私たちは、派手にやらかしてもいる。
1年や、2年でもなく、3年の私たちもやらかしていると思う。
もちろん、私もきっと。
演奏が大きく盛り上がる時、これでもか!の音量を出す。
なんでここまで…とういう位の音量である。
私たちは、ステージにいるから、その自分たちを見ることは出来ない。
でも、見えるのである。
すごく真剣に指揮者を睨み、遅れないよう、早まらないよう、はずさないよう…
それが力みでトゲのようにはみ出しだしながら、大きなままで突然止まる。
この時に勢いあまった、木管の誰かが「キー」とやらかしている…。
静かにただよう金管の中で、誰かがブギューと異音で横切る…。
そんな事が数か所ある。
おそらく、それが誰なのかは本人もまわりもわかっている。
私も自分のやらかしをわかっている。
レコードを手にして、部室で聞く時、反省をこめながらそれぞれが聞いた。
失敗を笑ってはいけないし、もちろん一生懸命に対して、怒ってもいけない。
時に少し苦笑いをしながら、何度も何度もみんなで聴いた。
いつかまた皆で聴いてみたい
今回、Youtubeで見つけたけれど、それまでも音源はよく聴いていた。
何度も繰り返すと、さすがに飽きるけれど、それでもまた時間が過ぎると聴いてしまう。
そして、同じ個所でズッコケる。
盛り上がって盛り上がって、盛り上がりすぎて、最後にズッコケる。
ドリフのコントのようである。
聴いていると、愉快になる。
はずした所が一番ウケる。
このウケるところを、皆でまた聴いてみたい。
そして、ズッコケまくりたいものだ。
件のYoutubeチャンネルの我が校の再生回数は現在174回だった。
この中の視聴者にあの頃の仲間がいるかどうかは不明だ。
当時の仲間とはもう誰も連絡をとることもない。
私の楽器パートの相棒も若くして他界してしまった。
Youtubeで聴いた方の中で、あの一生懸命な外しっぷりに笑う方もいるかもしれない。
ほとんどが暖かく笑ってくださるだろうとは思う。
そうで、あってほしい。
自虐的にコケて笑うのは、演奏をした「私たち」の特権である。
それが、私たちだけへのご褒美である。