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寒い大雪の1月にパートを始めて、夢中で時がすぎて
久しぶりに猛暑ではない夏を超えて、10月を迎えてしまった。
この間、自分が驚くほど成長も前進もしていなくて、
それでも年齢を考えると、「こんなもんかぁ」と思っている部分もあって。
さてさて。63歳の秋です。
あの日の先生の言葉
毎年10月1日になると思い出す事がある。
ことの発端は昭和51年の10月1日、朝の出来事。
当時高校2年生の私の担任はクラスの朝礼の時に言った。
「お前たち、ノンキにしているけど、毎年10月1日というのは特別な日だぞ」
「???」
「お前たちも一年後の10月1日には就職のために動くことになるぞ」
「ほぅ、そうだったか…」
知らなかった。10月1日は当時の高校生の就職活動の解禁日だったのだ。
私の高校は北海道の超ド級の田舎の商業高校。
クラスが40名ほどで(学年は40×4 くらい)そのうち進学をするのはほんの数名。
それも近隣の大きめな市にある短大クラスがほとんど。
その他は全部就職をすることになる。
今でいう「就活」なんて言葉もない時代。
就職に大きな夢や希望や、そして挫折とかそんな事はまったく意識にはなくて
どこかに就職…か…。
その程度の意識しかなかった(他はわからず。私はそうだった)
進学という選択肢は持っていなかった。
その後のこと
一年後の10月1日には、事実上「就活」は始まっていた。
ほとんどの生徒が就職希望だったため、模擬面接や履歴書の書き方などを教わり
私たちの関心と行動は就職にむかった。
思い返せば、先生の言葉は準備期間を与えてくれたものだった。
私はある東京の警備会社を受けて(札幌市で試験と面接)みごとに落ちて、
特に落ち込まず、今度は年明けに大手流通会社を受けた。
そして、受かった。
その会社は「一身上の都合」で5年で退職をした。
おそらく、私以外の生徒のほとんどはもっと真剣だったと思う。
私の目標は「家を出ること」だったので、その先の企業が多少変わることは
まったく眼中にはなかった。
だから、同じ北海道の中であっても、札幌に出られたことは成功だった。
今の時代でも最初の就活は「真剣」
昔は入る会社のステータスで人生が決まると思われていた。
だから、その為にはまず、良い高校良い大学に入る必要があった(らしい)
そして、そこを出てからは良い会社に入って、それが安泰な良い人生だと信じられていた。
今は違う空気を感じる。それもビシバシと感じる。
一生涯を約束してくれる会社などほとんどない(と、思う)
座る椅子を見つけて、難関をかいくぐり座ることができても、いつか自分で本業とは別の何らかのスキルを持つことが必要になる。
そしてそれが「保障」を得る道となるように思う。
私は人生がほぼ後半に突入したので、それを強く思う。
会社とは違う別なスキルは本当に必要で、それで豊かさを得ることは必須なのだと思う。
もう二度と私自身は「安泰を求めて」の会社に入ることが出来ない身となったからだ。
もう20歳若ければ、別なスキルは必要だとはわかっていても、まずは「椅子」を求めて
その椅子にしがみついてしまっただろう。
もう、その椅子は目の前には用意もされない。見つけることはおそらく出来ない。
だから開き直って、この年齢でもスキルは必要だから何かをしようと思えるのだ。
パート先のアルバイトの大学生(女性)が「就活」をしている。
就職先が決まったら一旦地元に帰るから、今のアルバイトは辞めるらしい。
その子があまりに良い子なので、辞めるだろう事が寂しくて
私はその子の「就活」をこっそりと気にしている(しかもしっかりと)
「一生の安泰につながる道」として、きっと就職先を探して、トライしているのだろう。
けれど、それだけでは人生が決まった訳でもなく、安泰でもない。
きっと、世情をふまえてわかってはいるのだろうけれど、それでも今は「椅子」を求めて頑張っている。
なんだか複雑な気持ちになる。
でも、嬉しい顔も見たいから、心の半分は応援もしている。
先生は正しかった
こうやって、また来年も私は10月1日に先生の言葉を思い出すのだろう。
なんせ、毎年、どういうワケか思い出す。
それも10月1日の朝。目覚めた時に思い出す。
この先生からは、もうひとつ忘れられない言葉をいただいた。
卒業式の日。
「お前たち。お前たち全員が揃うことはもう二度とない。このメンバーが一同に介することは二度とないぞ。たとえそれが明日であっても、全員で会えることは二度とはない」
卒業式の日に、なんて味気のないことを言うのだろう。
これだから大人は……(笑)
なんだか、水を差された気分になった。
でも。
それは、まさしく正解だった。
即座に、再び揃う機会は何もなかったけれど、たとえ翌日に機会をもうけたにしても
全員が揃うことはないだろう。
そんな小さな言葉で、人生をチラッと教えてくれた。
まぎれもない事実を。
先生は、この数年あとに、別な地方の高校で教頭となり、そして校長先生にもなった。
おそらくその間、担任であった時には教室で、校長になった時には全校生徒の前で同じ訓示をされたことだろう。
この二つの言葉。
きっと、この先も私は忘れないだろう。
あの日、同じ教室にいた同級生は何人覚えているだろうか。
※ アイキャッチの画像は、今は無き、母校の跡地です。