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今年も暮れに近づいて、淡く黒い縁取りのハガキが届くようになってきた。
届いたハガキを手に取って、昨年の思いがけない別れを思いだしていた。
母の妹が亡くなったのは、昨年の3月だった。
長い時間の中で、すっかりと親戚の付き合いは無くなっているので、亡くなったことも葬儀の事も事後の報告も何もなかった。
ただ、叔母の存在を介して、叔母の長女とは年賀状の挨拶だけは続けていた状態。
その従姉から、暮れに叔母の訃報を知るハガキをいただいた。

場所は近くないけれど、気持ちは近くにあったから、叔母の名前が書かれていることに少し驚いた。
少しと書いたのは、87歳というそれなりの年齢だったからだ。
母は8人兄弟姉妹の下から3番目。
下に件の叔母と弟がいる。
8人のうち、一人は19歳で不慮の事故で亡くなっている。
私の母は自身が45歳の時に破天荒の酒の末に亡くなった。
その二人以外は、総じて長命だったけれど、ひとり欠け、また一人欠け…
そして、この叔母だけが残されていた。
子どもの頃の私は、家にいることが出来ない時期が何度もあって、そのたびにこの叔母が住む町に汽車で半日かけて数日間泊まりに行っていた。
恐らくは母が叔母に連絡をとって、段取りしていたのだろう。
叔母は何も聞かず、帰りも促さずにほとぼりが冷めるまで置いてくれた。
叔母は夫も子どももいたが、一旦別れて、長く地方で働いて一人住まいをしていた。
自分の子どもと暮らせないからなのだろうか、私にはずいぶんと優しい人だった。

カラカラっとした性格で、声がガラガラで、とてもふくよかで。
当時は水商売で働いていたので、夜になるといつも和服で出かけていた。
飲めないお酒を呑むから、帰宅後に嘔吐していた事もある。
大人って大変だな
中学生になっていた私はそう思っていた(小さい時はわかっていない)
それでも、いつもカラカラっとしていて、好きなプレスリーを聴いたり、静かに文庫を読んでいたり、いつも酒ばかり飲んでいる私の母とは面差しが違う人だった。
叔母が別れていた家族と復縁をしてからは、その転居先に訪ねることはなくなった。
そうして、法事などの何かの機会にたまに会うくらいの関係になった。
それでも会った時にはいつも気にかけてくれて、昔私にしてくれたように今度は私の子どもにお小遣いをくれた。
母の姉が92歳で亡くなった時、実に久しぶりに再会をした。
初めは小さい、総白髪の人が誰だかわからなくて、挨拶もせずにいたら、それが叔母だとわかって驚いた。
人はこんなに小さくなるのかと、驚いた。
それでも、ガラガラの声は同じで、目ヂカラは強かった。
それからは年賀状以外に叔母の事を知る機会がなくなっていたが、数年のうちにその住所が施設に変わっていた。

母を介した親戚はもうこの叔母しかいない。
昔から大好きだった叔母。
叔母に会いたい。
今会わなければ、近い将来会えなくなる。
その思いが強くなった頃、私は叔母の施設を訪ねた。
不安が強かったけれど、叔母の頭はしっかりとしていて、私の事も私以上に覚えてくれていた。
小一時間、昔の話と今の話をした。
その中で、叔母が意外な話をしてくれた。
私が母を亡くしたときに、家にいたくなくて叔母の復縁した家庭に家出をした事がある。
一晩泊めてくれて、従姉と話をしたり、少しだけ心をほぐして翌日送りだしてくれた。
その時、叔母は私に申し訳なく、辛かったのだと言っていた。
本当はもっと、話を聞いて、もう少し家にいさせてあげたかったけれど、自分はもうそんな自由が出来る立場ではないから、無理にアンタを返してしまった。
あれはせつなかったわ。

私は驚いた。
そんな事、考えていなかった。
私は叔母の家族が形だけでも自分に優しく接してくれた事が嬉しかったからだ。
やはり、自分は子どもだったな…
考えのない私の行動で、逆に叔母に悲しい思いをさせたのだと、半世紀ちかくたってから知った。
叔母に悲しい思いを残してしまったこと、申し訳なく思った。
叔母は思ったよりも元気だった。記憶も確かだった。
まだ、きっと会う事は出来そうだ。
たった一人残った母の姉妹。
思い出を話せる、たった一人の人。

叔母と施設の玄関でわかれる際に、一緒に見送ってくれた施設の人に叔母が言った。
「姉の子どもなんだ」
姉の子ども
そうだ。私は姉の子どもだった。
もっと昔は、妹の子どもだった。
そして、母の子どもだった。
これまで、気づかずにいた。
もう、これが最後の私の立場だったことを。
叔母がいなくなったら、もう私は子どもとしての立場はなくなる。
そんな思いを噛みしめながら車を走らせた。
まだ、もう少し「あなたの姪でいたい」
そう思った。

1月に施設を訪ねて、雪がとけたらまた来るからと約束をした。
直後からコロナが蔓延して、雪がとけても訪ねることは出来なくなった。
そして、二か月後には亡くなっていたことを、秋の終わりに知った。
もう私を母の子どもとして語ってくれる人はこの世界にはいない。
この人の姪でいたことを、私は幸せだと思う。