65歳の日記

ナガキ君の魔法の手

私が小学校1~2年生の時だから、58年前くらいの話。

すっごい昔で、自分でも驚く。

入学したころの同級生の名前はわりと覚えている。

しかも漢字で記憶している。

その中に、ナガキ君がいる。

ナガキ君。もちろん漢字だけれど、特定されたくないので苗字とも名前とも言わないけれど、漢字のフルネームで覚えている。

このナガキ君のことを、不思議なほどによく思い出す。

それも、ひとつのシチュエーションだけ、ナガキ君の手から生み出される絵の数々。

絵、というよりイラスト? マンガ?

車だったり、動物だったり、ロボットだったり。

私たちが毎日夢中でテレビで見るものばかり。

「○○描いて」とリクエストすると、手がクイクイって動いて、ノートの上に新しい絵柄が生み出される。

リクエストされるどんなモノもナガキ君が描いてくれた。

どんなリクエストと言っても、私の記憶のページでは、ナガキ君にリクエストを出しているのは私しかいない。

隣あった席の私とナガキ君だけの世界のような記憶。

おそらくはほんの少しの記憶の破片なんだろうとは思う。

ナガキは人気者だったから、私だけというのはあり得ない。

とても不思議なのは、そうやって描いてくれたナガキ君だったが、それ以外の記憶が私にはまったくない。

手が動くナガキ君はいても、体が動いているナガキ君の記憶が一切ない。

歩いている姿の記憶もない。

リクエストに応えてしゃべることはあっても、それ以外に話をしている姿の記憶もない。

ただ、違う学校の先生の子どもだったことは聞いたことがある。

年に一度くらいの割合でナガキ君を思い出していた。

ナガキ君の手が魔法のように動いて、新たな絵の命がノートの上に生まれる。

魔法のような手先。

私の記憶の目は、いつも右側に座っているナガキ君の手元を見ていた。

10年くらい前だろうか。

何となく、覚えている名前をネットで検索してみた。

ナガキ君のことも検索をした。

ナガキ君。ヒットした。

ナガキ君の名前は決して多くはない。

私のこれまでの人生の中で、ナガキ君と同じ苗字さらに同じ名前の人は見たことがない。

絶対ということは言えないかもしれないが、ヒットした人はナガキ君だと思う。

ナガキ君は、ある大手の外車ディラーの役員として、写真もネットに載っていた。

正直、顔ははっきりとは覚えていないし、50年はたっているからあてにならない。

でも、年齢は合致しているように見える。

ネットに出ているナガキ君のプロフィールがわからないけれど、穏やかな雰囲気はあの当時も感じていた。

きっと、きっと、ナガキ君だ。

すごい紳士になっていて、ステキだ。

私は5年生で転校をしたから、その後の事はわからないけれど、ナガキ君は教師の家庭のお子さんだから、おそらく転校をしているだろう。

どこかに転校して、中学、高校、大学と進んで、働いて出世されたのだろう。

ナガキ君らしいな。そんな感じの男の子だった。

出世したハンサムな同級生がいて嬉しいって事ではない。

元気そうで嬉しいってことでもない。

ただ、検索したらヒットして、あ、間違いない!って事に気持ちが躍るだけ。

私はハッキリとあの「魔法の手」を思い出すけど、ナガキ君は私を覚えてはいない。

ナガキ君の手が「魔法の手」でなければ、私も覚えてはいないだろう。

ナガキ君は、絵の天才であり、瞬間をとらえる天才なのだと思う。

そこに魅せられて、私は何十年たってもナガキ君を忘れないし、思い出すのだろう。

ナガキ君も、絵を描いている自分を思い出すことがあるだろうか。

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