人生時間

『北の国から2021』は秘かに存在していたらしい

国民的ドラマと言っても過言ではないのだろう。

北海道の富良野市を舞台にした「北の国から」

知らない大人を探すほうが難しいかもしれない。

この「北の国から」は「2002年遺言」を最後に映像化されていない。

「2002年遺言」が最後である事も、当時から発表はされていた。

しかし、実は今年その続編である「北の国から2021 ひとり」というお話しが秘かに出来上がっていたそうだ。

10月9日に富良野市で行われた「北の国から」の催しの中で、倉本聰氏から語りがあったという。 (10月9日は北の国からの満40周年の日)

【倉本聰が書き上げていた幻の新作「北の国から2021 ひとり」その衝撃の内容】

これがYahoo記事のタイトルなので、興味がある方は読んでもらいたい。

引用しても良いかどうかが不明なので、リンクはしていません。

今年3月に田中邦衛さんが亡くなった。

その田中邦衛さんが亡くなった時と同じくして、主人公である黒板五郎の化身を雄鹿に見立てて話は終わっているようだ。

絶対に映像化されないとわかっているからこそ、見てみたい気持ちもあるが、頭の中でも心の中でも想像ができる。

ドングリだった街

富良野市は北海道のほぼ中心に位置している。

富良野は基幹産業が農業と観光である。

ただし、観光を強くしたのは、まさに「北の国」からの産物だと思う。

富良野は位置的に「空知」であったり「十勝」であったりする(広いから)

富良野の隣町に「炭鉱のマチ」があって、そこが私の故郷である。

ずいぶん昔に閉山をしているので、今は人口が減るばかりで、学校も一部を除いて閉校になっている

富良野の隣と言っても、観光の町にはなりえない。

富良野市も私のマチも「ドングリ」で、比較ができるような立場にいなかった。

なのに、「北の国から」からの出現で、明らかな差が出てしまった。

ただ、飛躍的な観光を生み出した富良野と違って、閉山を迎えて我がマチの凋落は激しかった。

その時、もう私はマチを出ていたけれど、離れていても寂しかったものだ。

黒板家は貧しくて、黒板家以外にも食うや食わずの家庭も多く描かれていたが、実際の街は十分に潤いを持っていたのだと想像している。

食うや食わずまでいかなくても、明日をも知れない生活は、我がマチの方が多かったはずだ。

隣の町だから見なかった「北の国から」

私のマチの唯一の観光場所

今はもうやっていない

1981年10月から開始になった「北の国から」を私は長く見ることはなかった。

番組が終わって、特番もいくつかあってから初めて再放送で見た。

音楽番組は見ても、ドラマはあまり見る事はなかったので、その流れで見ていないということもあったが、実はおそらく「嫉妬」があったように思う。

なんで富良野なのさ。

こんな気持ち。

ドラマ人気もすごく高いようで、尚更見ることはなかった。

嫉妬の心だけが大きくなって、見てもいないのに嫌いになっていった。

そして、心をつかまれる

再放送を見てしまったのは、10年以上たった頃である。

仕事から帰宅すると、丁度再放送が入っていた。

その頃には嫉妬心は消えているので、何とはなしに見てしまった。

そして、はまった。

似たようなマチで育っているので、背景が良くわかる。

ただ、言葉の使い方や、アクセントの違いには笑うことが多かった。

そして、はまりついでにこれまでの話をレンタルで借りるようになった。

そして、はまりはしたのだが、私は好きにはなれなかった。

それは、今も同じである。

ファンは何が好きなのだろう

親の生き方をどこまで子どもに強いるのだろう。

なぜ、これほどまで、不幸なのだろう。

不都合や不幸ばかりを集めて、理不尽を受け止める限度がなさすぎる。

愛は溢れるほどあるけれど、愛より哀愁の方が強すぎる。

あの物語で、幸せな人はいるのか?

しょせん、幸せなんてものは存在しないのかもしれない。

そんな結論になってしまう。

ドラマを見ている人は、あそこまでの不幸にならないから、見ることができるのだろうか。

私も、何故、見ているのだろうか。

寒さはわかる。うっかりすると家でも凍死する。

下手したら熊に遭遇するのもわかる。

私のマチも熊が出る。

けれど、これほどまで物事のほとんどが不幸にまみれていく家族を、私は過去も現在も知らない。

人をここまで落として、悲しませる必要があるのか。

そんな風に思ってしまう。

私ならば、あの地域での辛くきつい生活を子どもには送らせない。

きっと、多くの人はそう思っているだろう。

中には、好きすぎて実践する人もいるとは思うが。

麓郷の森

麓郷の森には何度か行ったことがある。

テレビの中で見たものが目の前にある不思議。

中の作りもそのままだ。

ドラマのシーンの写真もさりげなく置いてあったりする。

そうすると、やっぱりドラマなんだな…と、ホッとする。

本当にあの家で、今も実生活をしている姿を見るとせつなくなるだろう。

ドラマで良かった。

そう、思う。

炭鉱長屋も、とてもボロだった。

大雪によく耐えたものだと思う。

ただ、麓郷の多くのドラマの家よりは少し立派だったけれど、似たようなものだ。

だからか、麓郷の家で数日間なら、きっと私は暮らせるだろうとは思う。

この先の物語

物語としては最後であると書かれていた。

倉本聰さんもご高齢である。

しかし、ご高齢と言っても、作家である。

作家が物語の終止符を打つって、難しいのではないかと思う。

だから、ひそかに、倉本聰さんの頭のなかでは物語は続いていくのではないかと思っている。

すっかりと私の嫉妬心は消えている。

あまり不幸にしないでもらいたいという思いは持っているけれど、もしまた物語に続きがあるのならば

読んでみたいと思う。

私なんかが言うまでもなく。

大きな物語だった。