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最近になって「ゴールデンカムイ」を知った。
こういう面白い映画やアニメを、私はことごとく知らなくて、きっと人生相当に損をしているのだろうと思う。
北海道生まれ北海道育ちなので、やっぱり地元に関係する話には興味がある。
砂金とアイヌとアンモナイト
「砂金」
ゴールデンカムイを見て、昔北海道では砂金がとれていたのだという事を知った。
金山があったということなんだろう。
採炭地が多いのは知っているけど、金山は知らなかった。

もっとも、私の親の世代でも「金山」はすでに遠き昔のことだったのだろう。
親の口から砂金や金山の話を聞いたことはない。
2代くらい遡ったら、話も聞けたのかもしれない。
私のご先祖ももしかしたら、それが理由で本州から移住してきたかもしれない。
物語は、和人がアイヌから強奪した砂金の隠した先を、牢獄に収監されていた罪人の胴体に「入れ墨」として彫り、全員の入れ墨が揃ってはじめて隠し場所がわかるようになっている。
物語はまだ初番しか見ていないので、これからどうなっていくのかが楽しみで、ワクワクする。
アイヌ民族
ゴールデンカムイの中では、アイヌが大きな存在になっている。

物語の中のアイヌの女の子「アシリパ」さんがキュートで可愛い。
可愛いけれど、しっかりとしたアイヌ民族だと思う。
ヒグマを神に近いものとして扱うことや、命をいただくことの冷静さ。
情が通うと食べることをためらってしまう私たち和人と、命をつなげるために当たり前のように食べることができるアイヌ。
きっと、そのいただいた命に対する礼儀は、私たちよりもしっかりと持っているのだろう。
そうでなければ、なかなか食べることは難しい。
アイヌと和人はいつから交流を持つようになったのか、そんな事を知りたいと、改めて思った。
身近だったアイヌ
今この時代、「アイヌ」と呼んでいいのかどうかもわからないけれど、少なくとも蔑称ではないと思っているので、このまま書かせていただく。

今は純血のアイヌの人がどれだけ存在しているのかがわからないけれど、日本人が減っているのと同じように、きっとアイヌの数も相当数減っていると想像している。
私たちが子どものころ、近所には当たり前のようにアイヌの人がいた(家庭)
学校にもいた。
でも、あの当時でも、アイヌと和人との子どもが多かったのだろうと思う。
名前も日本名だったし、顔もアイヌ特有の彫りの深さがあるワケではなかった。
アイヌの人々は、本当に彫りが深い。
ひとつ、強烈な思い出がある。
私の住んでいた長屋のふたつ前くらいに、アイヌのご家庭があった。
両親のどちらかがアイヌ人だったと思う。

そのお宅には一人娘がいた。
「きぬよちゃん」と言った。
抜けるような白い肌の華奢なキレイな女の子だった。
私より二つほど、年が上だったと思う(すごく曖昧)
なぜか、きぬよちゃんの家と我が家は交流があった。
どんなお付き合いをしていたかは、もう記憶にはない。
けれど、私が小学校低学年の頃のある日。
私の母親が、きぬよちゃんに誕生日のプレゼントを用意した。
赤い、公衆電話型の実物大の貯金箱だった。

私は心底驚いた。そして、心底嫉妬をした。
私の母は、人にプレゼントをするような人ではなかったから。
実子の私自身でさえ、誕生日に何かをもらったことはなかった。
それなのに、他人の子どもに、あんな高価そうなプレゼント…
不愉快で不愉快でどうしようもなかった。
だいたい、お店なんかまったく無いあの地域で、あんな洒落たモノをどうやって手にいれたのだろうか。
わざわざ汽車に乗って、町に出たのだろうか。
きっと、そうだ。それ以外に入手する方法はない。
この疑問はとうとう解決することはなかった。
私も聞くことはなかったけれど、モヤモヤは時間が解決してくれた感じがする。
ただ、母親は「プレゼントをする側」のワクワク感をもっていたのは確かだ。
嬉しそうだったから。
きっと、もらう側よりも、母の方が嬉しかったのでないかと思う。
今にして思えば、母はきっと、あの「きぬよちゃん」の家族の誰かに強烈に好意を持っていたのだと思う。
自分の好意を知ってもらいたい、この気持ちをわかってほしい。
そんな気持ちがあったと、今は思っている。
誰だったのだろうか。
それはわからないけれど。
そして、もう、どうでも良いことだけど(笑)
きぬよちゃん家族は、いつの間にか生活の記憶から消えていた。
あの時代、人種の差別があった。
我が家の話題でも、差別の話はよく出ていた。
それが良いとか悪いとかの話ではなく、当たり前のように話題に出ていた。
小さな頃は親の話に感化をされていたけれど、自我が出来たころにはそれを差別と認識をして、良くないことだと思うようになっていた。
正しく考えることができるようになった事を良かったと思う。
アンモナイト
砂金ともアイヌとも関係はないけれど、何故かアンモナイトと結びつく。

あの頃(昭和40年代~50年代)の家庭の玄関や居間には、必ずと言っていいほど「アンモナイト」が飾られていたように思う。
私の家もそうだった。
北海道はアンモナイトがよく採れるらしい。
今でも、川などに行くと採れるような気がする。
実際はどうかわからないけれど、昔はよくあったらしいから。
それならば、採掘に行ってみたい気になる。
アンモナイトではないけれど、我が家には「石」の置物が何個もあった。
父親が川に行き、大き目の石を拾って、サンダーで削り、磨き上げてキレイな置物を作っていた。
今の時代なら、メルカリで高値で売れたのではないかと思う。
私も、絵は描けないけれど、削ったり磨いたりは好きなので、やってみたら良かったと思う。
そう、メルカリで売れそうだし…(笑) ← 実は、いい事思いついた!と思っている(笑)

ただ、私は川から石は絶対に持ち帰らないと決めている。
長い年月をかけて、川上から川下に流れたその「石」にも人生?があって、そこが定位置であり、そこですごすべき生命だから、勝手に移動をさせてはいけないと、何かで読んだ。
あぁ、そうだなぁ…と、納得をした。
自然のものの生命は、やはりその位置が正しいと。
そう思った、30代くらいから私は石を持ち帰らない人になった…。
それまでは、あ、キレイ!って思うと持ち帰ったりしていたから。
たまたま、ゴールデンカムイ → アイヌ → アンモナイトと思いは流れたが、改めてアンモナイトって何?と思ってWikipediaを覗いてみたけど、あまりに長くて、用語もわからず、早々に退散してしまい、結局何?って疑問が残った。
余談… 五寸釘の寅吉
まったくの余談になるけれど。
北海道の囚人として、私は「五寸釘の寅吉」を思い出す。
無理に思い出したのではなくて、寅吉さんは私の中にいつもいる。
何故か忘れない人物の一人だ。
寅吉さんを知ったのは、小学校の低学年。
当時関わった学校の先生の誰かに教えてもらった。
日本で一番「脱獄」をした囚人だそうだ。
脱走の途中で五寸釘が足を貫通しても逃げたのだとか…。
何度も戻されて、最終的には網走刑務所に入ったそうだが、私が好きで何度か見学に行った「月形刑務所」(当時は樺戸集治監)にもいたようだ。

地域が近いから、先生も思い入れがあったのかもしれない。
先生に聞いたのはたった一度だったかもしれないが、何故か終生忘れそうにない。
着地点が何故か「寅吉さん」になった。
ゴールデンカムイの続きはこれから見る。