65歳の日記

9月5日の朝

今日で65歳になった。

ちゃんと覚えていた。

若い頃、20代とか30代とかは、忘れていることが結構あって、仕事や子どもとか頭を支配するものがそれなりに多い時って、本当に自分の誕生日なんか忘れる。

それでも、夜になって、「あれ?今日って…」みたいに思い出すことしばしば。

数日前に、役所から手紙が届いた。

何かしらと、年金の案内かと思って封を開けたら「介護保険」の保険証だった。

それ以外に、なんだか色々と相談の窓口とかが書かれた案内が入っていた。

まだ、しっかりとは読んではいないけれど、なんだか、急に自分の年齢の立場を思い知らされて、少しイヤな気持ちになる(笑)

体調が悪くないので、普段は自分の年齢を意識していないのに、他所の刺激でそれに目覚めさせられる。

あぁ、お年寄りに入ったかな。

そうだ、前期高齢者だものな。

そう思ったけれど、またすぐに忘れた。

職場の69歳の男性が、高齢の夫をもつ同僚に70歳からの交通パスについて聞いていた。

他人事かと思ったけれど、65歳もいろいろな所で割引がきくようである。

これからは、何処かにいくたびに、事前に調べてみようと思う。

少し小走りをするだけで、50メートルでも走ったかと思うような息切れをおこす。

復帰するのに、走った時間の数倍を要する。

もの忘れは、幸いまだそう多くはないようだ。

ただ、それ自体を忘れている可能性はある。

60を過ぎてから、多くのことに手をだしてきた。

わりと継続もしているつもり。

ただ、終わりの時、おそらく私自身はもうなにもできないだろう。

先日、初めて娘に私のYouTubeのチャンネルを教えた(すでに知られてはいた)

別に、夢も希望も何も伝えはしなかった。

道楽と思ってもらいたい。

ただ、ひとつだけ、お願いをしておいた。

「最後のお尻ふきはたのむ」

自分の夢。

こうなりたい。こうでありたい。

ここ最近、すごく明確にわかってきた。

幸せになりたい。幸せになってみたい。

人の思う幸せと、私の思う幸せはきっと、まったく違う。

幸せというより、仕合せがきっと似合うだろう。

そして、なにが自分の仕合せかは、もうわかった。

これからの人生、それをつかむために生きていく、と、思った朝。