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今日で65歳になった。
ちゃんと覚えていた。
若い頃、20代とか30代とかは、忘れていることが結構あって、仕事や子どもとか頭を支配するものがそれなりに多い時って、本当に自分の誕生日なんか忘れる。
それでも、夜になって、「あれ?今日って…」みたいに思い出すことしばしば。
数日前に、役所から手紙が届いた。
何かしらと、年金の案内かと思って封を開けたら「介護保険」の保険証だった。
それ以外に、なんだか色々と相談の窓口とかが書かれた案内が入っていた。
まだ、しっかりとは読んではいないけれど、なんだか、急に自分の年齢の立場を思い知らされて、少しイヤな気持ちになる(笑)
体調が悪くないので、普段は自分の年齢を意識していないのに、他所の刺激でそれに目覚めさせられる。
あぁ、お年寄りに入ったかな。
そうだ、前期高齢者だものな。
そう思ったけれど、またすぐに忘れた。
職場の69歳の男性が、高齢の夫をもつ同僚に70歳からの交通パスについて聞いていた。
他人事かと思ったけれど、65歳もいろいろな所で割引がきくようである。
これからは、何処かにいくたびに、事前に調べてみようと思う。
少し小走りをするだけで、50メートルでも走ったかと思うような息切れをおこす。
復帰するのに、走った時間の数倍を要する。
もの忘れは、幸いまだそう多くはないようだ。
ただ、それ自体を忘れている可能性はある。
60を過ぎてから、多くのことに手をだしてきた。
わりと継続もしているつもり。
ただ、終わりの時、おそらく私自身はもうなにもできないだろう。
先日、初めて娘に私のYouTubeのチャンネルを教えた(すでに知られてはいた)
別に、夢も希望も何も伝えはしなかった。
道楽と思ってもらいたい。
ただ、ひとつだけ、お願いをしておいた。
「最後のお尻ふきはたのむ」
自分の夢。
こうなりたい。こうでありたい。
ここ最近、すごく明確にわかってきた。
幸せになりたい。幸せになってみたい。
人の思う幸せと、私の思う幸せはきっと、まったく違う。
幸せというより、仕合せがきっと似合うだろう。
そして、なにが自分の仕合せかは、もうわかった。
これからの人生、それをつかむために生きていく、と、思った朝。