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TBSの日曜劇場で「海に眠るダイヤモンド」というドラマをやっているけれど、このドラマの存在を知ったのは、12月に入ってからだった。
とても悔やむ…。
ネットで、最後まで見たい秋ドラマの1位になっていたので、その存在を知った。
知っていたら、ちゃんと録画をしておいたのに…。
それからティーバーで見ているが、途中がすっぽりと抜けてしまっている。
いつか、きっと見ることが出来るとは思っている…というか、期待している。
以前から「軍艦島」に興味があって、よく写真やグーグルマップで眺めていたけれど、頭でわかっていても、そこに炭鉱の生活を結びつけるのは難しかった。
どうしても、狭い島の中での生活に関心がいってしまって、島の一番大事な「生業」についてはあまり考えてこなかった。
私自身が、炭鉱の子どもだというのに。
北海道には多くの炭鉱があって、私もその町の中で育った。
炭鉱マンの転職は、炭鉱から炭鉱だから、場所はかわるけれど、「炭鉱の子ども」であることは変わりがなかった。
私の家も、炭鉱の「流れ者」だった。
きっと、待遇の差を求めて、流れていたのだろう。
炭鉱のマチは、一部の商店や公務員などをのぞいて、ほとんどが炭鉱関係になる。
小、中学校では、クラスの95%は親が炭鉱マンの子どもだ。
だから、職業の差別など存在しないし、おおらかだったように思う。
炭鉱の会社の中での上下はあるから、住んでいる地域が違っていたり、家にお風呂があったりがステータスの違いだった。
それでも、子どもには上下は存在していなかった。
高校に入ってからは、広く人が集まるので、炭鉱以外の友だちも出来たけれど、友人には炭鉱の生活は奇異に映っていたようだ。
私たちは集合風呂だったので(お金は払わないから銭湯ではないけれど、形式は一緒)会話の中に「風呂」がよく出るけれど、それが都会?の友人たちには奇異に聞こえたようだ。
あんた達の話の初めはいつも風呂だ…
そう言われたのが半世紀たっても耳に残っている。
「海に眠るダイヤモンド」を見て、炭鉱の仕事の厳しさを改めて思う。
改めて…は違うかも。
しっかりとは考えてこなかったのかもしれない。
命がけだったんだな。
妻子を養うために、毎日命をかけて働いていたんだ。
酒呑みの「飲んだくれ」が多くて、ガラも悪くて、輩オヤジが多いと思っていたから(私の親が筆頭)地底深くで命をかけていたとは考えることがなかった。
今は、思いが足りなかったことを申し訳なく思っている。
気温が40度とか、湿度が90%なんて想像もしていなかった。
「また呑んでるよ…」としか思っていなかった。
私のいたマチでも、死者25名の大きな炭鉱事故があった。
高校3年生の頃。
身近に被害を受けた人はいなかったけれど、マチは大きく揺れた。
それでも、私は深く想像する事が出来ずにいた。
命をかけるという事を、リアルに感じることができなかったのだろう。
それを、「海に眠るダイヤモンド」は今になって教えてくれた。
逃げ場のない所で、命をはって仕事をすることがどれだけの重さだったのか。
そんな思いをいつも背中にはりつけながら、毎日トロッコに乗っていたのか。
私は父親がすごく嫌いで、その思いは今でも変わらない。
けれど、嫌いでも、感謝だけはするべきだったと、今は思うようになった。
心にしまいこんでいた思いを、ドラマはたくさん引き出してくれた。
閉山をしてから、マチには人がほとんどいなくなっている。
それでも、住宅の一部は残っていて、人も生活をしている。
そんな所に12年くらい前に行ってきた。
一緒に行った友人が、「立坑」を見たいと言った。
奥地にあった立坑めがけて車を走らせたけれど、立坑は出てこなかった。
たまたまいた人に友人が立坑の事を尋ねると、数年前に取り壊したと教えてくれた。
友人は、その数年前に、自分の両親をつれて立坑を見たのだという。
だから、今でも残っていると思っていたから、残念だと言った。
私も、立坑を見たかった。
最後に見ておきたかった。