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夏頃に、急に折り紙をしたいと思った。定番の鶴。
でも、折り紙がなかったから、近くのノートを真四角にして、それで折ってみたらなんだか変な物が完成した(なんか、太った鶴もどき)
やっぱり忘れたか…と、思う。
時々、折り紙買わなきゃ…と思いながら、冬になり、昨日やっと買えた。
YouTube先生に教えてもらって、鶴を折る。
前の太った何物かを作った時と、同じ工程のような気がするけど、やっぱりなにかどこか違ったのだろう。
鶴の工程は、何度も同じようなことをするので、私はやっぱり先生がいてその場で合わせないと出来ないようだ。
昨日、一応ちゃんと鶴はできたけれど、一人でできるか?と聞かれたら、少し不安になる。
とても苦手。
大人になるまで、私は鶴を折ってこなかった。
折り紙をしてこなかった。
興味がまったくないから。
私の遊びは、ケンパやパッチ(めんこ)缶蹴りとかの外遊びと、ピストルの撃ちまくり、刀での斬りまくり。
ゴム跳びはしなかったので、要するに少年の遊びばかりだった。
家でのお手伝いもおよそ女の子のやることは避けてきた。
私の好きな家の仕事は、包丁研ぎや薪割り、屋根の氷おとし、煙突の掃除、邪魔な木の切りおとしとか。
特に、危険で面倒な屋根の氷おとしは好物だった。
雪おろしではなくて、氷落とし。
気を抜くとケガをする。
あの頃、近所の人はきっと私を「エライ子」か「変わった子」だと思っていたと思う。
ツルハシ持って、梯子のぼって、屋根に穴をあけないように氷をおとしていく女子中高生…。
なぜあの頃、あんな事が好きだったのかわからない…
そんな事が多くあるけれど、この薪割りと氷落としは今でもわかる。
今でも、機会があったらやりたいと思うから(包丁は今も研いでいる)
さて、折り紙。
私の中では、女子の遊びだったのだろう。
大人になってから職場の先輩に折り鶴をおしえてもらってから、なんとなくの鶴は出来るようになっていたので、自分の子どもには少し教えた。
折り紙に書いてあるお手本を見ながら、一緒に折ったりもした(だろうと思う)
そんな超不器用で、あまりやる気のない親の元にいながら、私の娘は折り紙をする子に育った。
女の子の遊びもする。
私が反面教師になったのかもしれない。
折り紙を考えた人、構造を分解して考えることの出来る人はすごいと思う。
立体化されている発明品よりもすごいように思う。
海外での折り紙がどうなのかはわからないが、日本人には向いているし、日本人の賢さの賜物のように思う。
100均で買った「教育おりがみ」は22色で、60枚。
折り鶴の作成途中でさっそく1枚目はコタコタになってしまって、没した。
なので、あと58枚残っている。
あと数個、鶴を先生なしで折ってみて、そのあとは袋ごと引き出しにしまわれるように思う。自分のやることだが。
今は、いくらでもYouTube先生が教えてくれる。
ただでさえ、ゆっくりリアルに時間を共有してくれるのに、私はわざわざ何度も止める。
手が追いつかないから。
その先の別の作品には、興味がもてない。
何故、急に鶴を折りたくなったのかは不明だけれど、これで満足している。
でも、私のようなシニアには、「折り紙」こそが必要なのだと思う。
情報を頭にいれて、指先をつかう。
毎日1個でも作っていけば、ボケの防止には役立つだろう。
そのうちに、楽しくなるかもしれないし。
天はいつも必要なことを、さりげなく知らせてくれる。
今の私には、「折り紙」が必要で、もしかして避けてとおるとまずいのかもしれない。