65歳の日記

育ちの悪さ

私が自分の育ちが悪いと思った最初は19歳の時だった。

それ以降、ときどき育ちが悪いと思うようになった。

育ちというと、まるで親のせいのように思うけれど、実際それもあり、途中で直せなかった自分のせいでもあるだろうと思う。

18歳、高校を出て就職の為に札幌に出てきた。

公共料金を払うために銀行に行った。

当時は整理番号なんてものはなくて、勝手にトレイに用紙をいれて窓口近くにポイ、と置く。

窓口の担当者が手近にあるものから処理をすすめていく。

窓口担当者さんが、私の名前を呼ぶ。

お金を払ったのか、質問を受けたのかは記憶にないけれど、その時私はずっとガムを噛んでいた。

その瞬間だけガムを噛まずに無いように見せたわけではなく、ずっと普通に噛んで担当の方と接していた。

別に、銀行と利用者という立場があっての行動ではなくて、それが私の普段の生活だった。

その時、一緒にいた友人に、その場で言われた。

「ガム、噛むのやめなよ」

「え?」

とっさに、何のことを言われたのかを理解できなかったが、数秒後にはわかった。

それが、みっともなくて、相手に失礼であることを、まったく考えてもいなかった。

悪気はない。まったく微塵も悪気はない。

それが私の普通であったから。

ちなみに、当時は「禁煙」とうたっていなければ、どこでも喫煙が可能だった。

公共の乗り物でタバコが吸えたし、灰皿も座席についていた。

銀行でも当たり前にタバコを吸って、人と話す際にガムを噛んで…

まるで今なら輩である。

窓口の人の前であったが、率直に言ってくれた友人には今でも感謝している。

この友人がいなければ、この無礼を改めたのはもう少し先になっただろう。

当たり前の話だが、これ以降はこのような無礼で無様なことはしていない。

していないつもりだ。

もし、無意識でもしてたらゴメン。

この出来事が一番の記憶だが、それ以外にも、小さなことで気づくことはある。

一番近年では、5年ほど前に友人宅で出されたスリッパのまま和室に入ってしまったこと。

「違うよ」って言われ、ハッとして、この時は恥ずかしかった。

今でも、スリッパの利用は苦手だ。よくわからない。

この、よくわからないが、そもそもの「育ち」の部分かな?と思う。

後発的なこともあって、礼儀やシステムは都会から地方に流れると思っていて。

10年ほど前に、東京ビックサイトでの展示会に社用で行った際、利用したコンビニで恥ずかしい思いをした。

結構並んでいるコンビニレジで、まったく人のいないレジもあり、私はそこに商品を持って行ったが、店員さんに並んでくださいと促された。

気を向けてみると、人の並んでいるところには「足あとマーク」があって、それに倣って客は並び、店員さんからの声掛けで空いているレジに進む。

今では、当たり前のこのシステム、当時まだ我が地では採用されていなかった。

なんとなくの早い者勝ち、適当に並ぶ、まだそんな時代?だった。

この時は、とんだ田舎者の自分が本当に恥ずかしくなった。

一瞬でも見て考えれば経験がなくてもわかったはずなのに。

周囲はきっと、私が北海道からきた田舎者だと思わず、おそらくは自分だけが良ければそれで良いと思っている「勝手なおばさん」だと思っただろう。

この時のことは今でも、少し、頬染める(苦笑)

私は親から、食卓でのふるまいだけは厳しく指導と注意をうけて育った。

今の生活はほとんどが孤食であるが、決して肘をたてての食事はしない。

箸もテーブルでトンと打って揃えたりもしない。

人がいようといまいと関係がない。

体がそう出来ている。

これだけは親に感謝である。

私も娘に同じように接した。

娘が友人たちと食事をした際に、テーブルのマナーが良くなくて、ハラハラするとよく言っていたことを思い出す。

娘も今子育てに奮闘中だ。

彼女が子ども達にどのような「育ち」を教えているかはまったく不明。

よその家庭のことなので口出しはしないと決めている。

私は今、接客業をしている。

時々、あ、この方、育ちがいいんだろうなぁ…と思うことがある。

同時に、誰にも何も教わってこなかったのかな?と思う人もいる。

すべてを育ちにして逃げてしまうのは良くないけれど、良くないことには早くに気づいて

直していけるといいなぁ…と、65歳にして思う。

私もきっと、まだまだたくさんあるに違いない。