65歳の日記

どんな日本になってゆくのか

昨日、衆議院選挙が終わった。

ここ20年以上はいつも期日前投票にしている。

いつもは、期日前の会場の入り口で、新聞社の出口調査にひっかかるのに、今回はそれもいなかった。

なんだか、降ってわいたような選挙で、選挙カーもほとんど見なかったから、この選挙の現実味をイマイチ感じることが出来ずにいた。

21時まで仕事だったので、終わってすぐにスマホで状況をみたら、下馬評とおりの「○○候補の落選確実」が並んでいた。

昨日から今日にかけて、自分の選挙区と、注目していた候補の当落だけは確認をした。

自民が過半数割れということで、今、日本中は水面下で手の繋ぎあいや避け合いに必死になるっているのだろうと思う。

どこがどう政権を担うのか、それはこれからを見るしかない。庶民としては。

私は、選挙の棄権を一度だけしたことがある。

成人して初めての選挙で、(内容は忘れた)関心もないし、候補のこともわからないし…で、行かずにいた。

親に、選挙には行ったのか?と聞かれて、行っていないと言ったら叱られた。

内容は上記のようなことと、自分が投票してもしなくても、世の中は変わらない的なことを言って。

そしたら親が言った。

「誰に入れたらいいかわからなかったら俺に聞け」

きっと、自分の働く環境や賃金や、そこに利点をもたらす候補(党)を確実に持っていたのだろう。

高度経済成長期の終わりころで、ゆとりも活気もあった時代だ。

とりあえず、働いていたら生活もできたし、仕事にあぶれる心配もなかったから、私たち若者は政治に関心をもっていなかったと思う(私だけかもしれないけど)

でも、大嫌いな親ではあったけど、そんな嫌いな大人が政治に真剣になっているのを聞いて、私は無関心でいることはやめようと、何故か素直になった。

それ以来、選挙はすべて投票している。

中には、どうしても絞れず、どこにいれても良いことがなさそうな時は白票でいれたこともある。

絶対、何がなんでもこの人に当選してほしい!と願って投じたこともあるけれど、それは40年以上でも数度しかない。

逆に、絶対にこの人はダメ!という人(党)が落選するようにと願いを込める事もある。

自分が親になってから、選挙のたびに、棄権はしないようにと子どもには言った。

子どもが選挙権を持つようになってからは、一緒に期日前投票に行った。

誰にいれたのかは、絶対に聞かなかった。

今、私の子どもは選挙に出向いているのかどうか、それはわからないし、聞くつもりもない。

自分の判断をもってもらいたい。

ただ、子どもも今や子育てをしている身。

自分や、自分を取り巻く環境や、将来のために、無関心でいるのは良くないということを教える人でいてほしいとは思っている。

去年も選挙があった。

その時に、ロッカーで同じになった人があっさりと「選挙なんて行かないよ」と言っていた。

ずっと、行っていないと。

50歳を超えた女性で、お子さんもお孫さんもいる。

きっと、自分の一票なんて何の役にも立たないと思っているのだろうとは思う。

残念だと思った。

子どもを持った時に、世界の平和を心から願った。

当時はまだ日米冷戦の状態で、ゴルバチョフとレーガンの冷たい物別れの雰囲気から、戦争を想像してしまって、子どもを抱いて、ものすごい不安になったりもした。

今も、世界では戦争が続いているし、いつ巻き込まれるかもわからない。

それ以前に、こんな壊れたような国になってしまって、それでも「あなた任せ」でいることが理解できない。

戦争はイヤだ。

働く以上、生活できる賃金をだせ。

湯水のように税金を使いまくるヤツらをなんとかしろ。

そんな当たり前のことを、口にだせる立場でいたいと思っている。

投票に行かない人も、権利の主張はするのだろうけれど、増長させているのは、私たちの無関心となりゆきまかせであると理解したい。

心ある人を探さないといけない。

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