65歳の日記

はかなさ

「令和の虎」をなんとなく、毎日見ている。

こちらから訪ねているワケではなくて、令虎さんがやってくる感じ。

そうか、そうかと今日はこれかと見ている。

特別好きとかではないけど、登録もしていないけど、気になるので放置ができない。

ここのところ、炎上回が多くて、炎上する回は私ももれなく一緒に炎上する。

私は実生活であまり怒ることがなくて、イライラすることはあまりない。

相手がご無体をしても、ツラっとして対応している。

「そんなもんだ」と「こんなもんだ」で流している。

若い頃は短気だったので、短気を使い果たしたのだと思っている。

そんな私が、「令和の虎」では炎上する。

主催の岩井さんが、時に横暴なおじさんだからに他ならない。

でも、結局何度も見てしまうし、嫌悪感がないから、私は岩井さんを嫌いではないし、なにせ同じ歳なので(早生まれの岩井さんが一つ上級生)わかる部分も多くある。

ここで岩井さん、また燃えるか?って思うと、意外にそうでもないこともある。

よく泣く人でもある。

7月に大炎上をおこして、数日後に「引退」の発表があった。

てっきり、大炎上のせいかと思ったら、病気の引退だった。

お元気そうだったけど、転移もあるとのこと。

厳しいんだろうなと思った。

自分の記録を残すと言っていたけれど、記録部分は1本しか見ていない。

近く行うと言っていた生前葬では、顔が見れると思っていた。

9月18日、仕事が終えた時。

スマホを開けると、岩井さんの部下の方が目にとまった。

とっさに思った事は当たっていた。

早い…と思った。

病気を知ったのは、わずかひと月半前。

いくらステージが高いといっても、こんなに早い?

生前葬用のドッキリ? そんな不謹慎なことも考えた。

私は身近な人が割と早逝だったので、あまり年齢で死を考えてこなかった。

長く生きることが正解と思ってこなかったし、それは今も変わらない。

だから、若く亡くなっても天寿かと思うことが多い。

やるべきことを成し遂げた人の「ご卒業」だと思っている。

私自身も仕事を終えて卒業することを望んでいる。

だから、いつもなら、しょうがないしそれだけ人生全うしたんだなと思うけれど

岩井さんのご訃報はだいぶ違う。

はかない。

こんなにも、はかないものか。

いつも通りの生活を送ることの出来る私たちのひと月と、病気と闘う人のひと月はまったく違う。

闘う時間さえ与えられず、日に日に生命の火が細くなっているのを自覚させられ、抗うことも出来ない。

闘うと言っていたのに、頑張ると言っていたのに、その時間さえなかった。

与えられた時間が短すぎる。

生きる気持ちがある以上、治す努力をしたかっただろう。

それが出来ずに、時間をすごしただろと思うと痛ましい。

誰かのご不幸を聞くと、驚きだったり残念だったり、悲しかったりする。

岩井さんのご不幸では「はかない」と思った。

そのはかなさがいつか自分にも訪れるかもしれないと思うと、身につまされる。

よく泣く岩井さん。

少し悪かった子どもが立ち直るきっかけに、「親の涙」がある。

もう、オヤジを泣かせたくない。

そんな涙を思わせる光景を、岩井さんには何度か見てきた。

置いて行く人たちを思って、泣いただろうか。

戻ると言っていたの、ついこないだだよ、岩井さん。

知り合いでもないのに、身近に感じていた。

少し、寂しい。