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人生の中で、忘れられないほどの「大雪の日」があった。
年に何回も思い出す。
昨日雪が降ったからか、また思い出していた。
それは「1月9日」
年までは記憶がなくて、でもおそらくは今から31年くらい前のことだったと思う。
平成5年前後。
平日だった。
夜から降り続けたのだろう。
朝、玄関をあけると、異世界のように白の山になっていた。
積雪量は大人の腰以上になっている。
こんなの初めてだ…
多分、その時私は34歳前後。
まだ、人生を語る年齢ではなかったけれど、きっとその感覚は正しかったと思う。
そして、それ以降、あのような豪雪は経験していない(はず)
今から3年前の大雪の冬でさえ、ひよっこのように思っている。
あの日。交通は完全にマヒをしていた。
それは一目でわかる。道がない。
ローカルテレビは大雪の放送をするけれど、それほどの騒ぎにはならなかった。
それぞれが家庭の中で、小さく騒いでいたと思う。
今とは、情報のカタチが違う。
大騒ぎにならなかった理由の一つは、まだ子ども達の冬休みの最中だったからだろう。
道路がないから、車も走っていない。
地下鉄以外の交通機関を使う人は出勤はできない。
徒歩にたよるしかない状況。
私は、徒歩圏内に住んでいたので、もちろん徒歩で会社に向かった。
黒いコートで。
北海道の道路は広い(らしい)
歩道も広い。
その広い道路は、冬の間には完全に半分になる。
ふさがれた半分は雪の山になっている。
ただでさえ狭くなっているのに、この日はその半分の道路さえ無い状態になっている。
道なき道を、会社に向かって歩く。
まだ視界が白くなるほどの冬が降っていた。追い雪だ。
歩いているのは、もちろん道路。
車は時々ゆっくりと走行している。
追い越す車を背にした形で黙々と歩く。時々は振り向いて。
黒いコートにしているのは、黒くなければ車に轢かれる恐れがあるから。
もちろん、緑でも青でも良かっただろう。赤でも。
とにかく、雪と明確に違う色にしなければ轢かれると思った。
とにかく出勤しないといけない。
これで轢かれたらしょうがない… と、思って歩いていた。
轢かれても、たいしたケガにはならないだろうとも思っていた。
なにせ、多分車も時速10キロくらいのスピードだ。
新雪だから、滑ることもないだろう。
そんな覚悟を持って、黙々と歩いた。
徒歩者は私だけなので、もちろん誰も来てはいなかった。
私のあとには、1時間ほどで車通勤の人が来た。
その日はそれで終わり。
これ以降、どんな一日になったのは記憶にない。
私の借りていたアパートは、その当時で40年以上経っている古い古い建物で、玄関は引き戸。
いつか、ドアの家に住みたい… 娘の願いでもあった。
屋根が三角で、雪が自然に落ちる作りになっている。
このアパートの冬の悲しいところは、雪が降ると、必ず「2度おいしい」ということ。
一度目は降った雪を除雪すること。
2度目は、その2~3日後に落ちた雪を除雪すること。
降った雪と同じ量が、堅くなって落ちてくる。
1階に住んでいたので、これを避けるわけにはいかない。
2階の何もしない人たちを尻目に、それはそれは除雪に勤しんだ。
その日、きっと仕事にならない状況の中で、私の頭は帰宅してからの除雪と、必ずやってくる2度目の除雪に心を痛めていただろう。
まずは帰宅したら雪投げをしないといけない。
やらなければ誰かがやってくれるとか、春まで待つとか、そんなことはありえない。
自分がやらないといけないのだ。
私も札幌という都会に来て、47年目くらいになる。
田舎にいた頃は、広い土地に平屋の長屋がならんでいるので、除雪はそれほど厳しくはなかった。
なんなら、歩く分以外はしなくても良かったくらいだ。
ただ、吹雪は年に何度も「ホワイトアウト」になる。
自分の目の先さえ見えなくなる。
人里を離れていたら、死活問題にもなる。
そんな、デンジャラスな土地に住んでいながら、大自然の驚異にまみなれがらも1月9日ほどの雪には遭遇していない(はず)
空が壊れた… と、思った。
雪は多くの場合、音もなく降る。降り続いて降り積もる。
冬は朝にカーテンを開けた時に一喜一憂する。
どうか、積もっていないでくれ… そう、願う。
だから、日中に目の前で降り続けると、いつまで降るのか、いつかまたあの「1月9日」はくるのではないか…
そんなことを考えてしまう。
決して、杞憂ではない。
ついつい心配で、昨日は窓にもたれかかって積もってゆく雪を眺めていた。
どうか、お手柔らかにお願いしたい。