※本サイトのリンクには広告が含まれています。
このブログにもたびたび登場する私の母は45才で亡くなった。
存命であれば93歳くらい。
生きていたら、どんな人になっていたかなぁ…と、想像してみるが、どうにも想像がつかない。
岩石のような堅い部分がいくらか柔らかくなって、金平糖のようなトゲも丸く削れて、ニコニコ笑うおばあちゃんになっていたのかもしれない。
お酒も、もう飲めないと言って、飲んでいないかもしれない。
そう考えても、やっぱりそんな姿が想像がつかない。
アウトローで幕が閉じたままだ。
20年くらい前から、私の容姿が母に似てきた。
洋品店の売り場で、ふいに母が見えた気がして二度見をすると、大型の姿見に写った私だったりする。
複雑な思いがする。
20年前なら、年齢で言えば、丁度母と私は重なる。
一瞬見間違うほど似ていてもなんの不思議もない。
でも、私の脳裏の母は、しっかり田舎のおばちゃんだったから、なんとなく似ているのを認めたくない私の思いがあった。
あつかましくて、人には言えない。
母の子どものうち(4人)長女は母に性格が似ていると思っていた。
母のような破天荒ではないけれど、思った事を口にする気の強さや、きかない性格はよく似ていた。
容姿も4人の中では一番母に似ていたと思う。
あとは、どちらかというと父親に似ている気がする。
私は性格も、容姿も体格もなにも母には似ていなかった。
それでも、5年ほど前に久しぶりに会った叔母からは、マサコによく似てると言われた。
やっぱりそうなのかもしれない。
容姿のことはさておいて。
今年に入ったくらいから、母によく似ている(似てきた)部分に気がついた。
それは性格。
私はアウトローにはなれないので、性格は絶対に似ないだろうと思ってきた。
規則や法律の中で、窮屈でも生きることに安心するタイプの私は、母とはまるで違う。
母は窮屈な世界で大人しく生きる人ではなかった。
人の意見も、人の目もなにも気にしない。
いつからそうなのかはわからないけれど、幼い時の写真をみると、そんな片鱗が見えるような気はしていた。
今私は、人の目がまったく気にならない。
以前は、気にしていないようで、相当に気にしていた。
目の合った瞬間の相手の表情や、口に出さずにいる言葉、自分のとった行動がどう映るのかなど、気にする事が山のようにあった。
心配は自分が作っているのだというのがよくわかる。
心配ごとは起きてからすればよいのに、何も起きていない時から、周囲との軋轢などを気にやんで日々をすごす事が多かった気がする。
今日のあの人の瞳の中に、私への敵意はなかったか。
こうは言っていたけど、本当は違うのではないか。
今日の自分に落ち度はなかったか。
気にしていないふりをしながら、人間関係がゆがまないように細心の注意を持っていた。
いつから、こんな小さな小さな生き物になっていたのだろうか。
思い返せば、私も若い頃、少しは母に似ていた感じもある。
あまり、人に迎合することもなくて、あまり怖いものもなかった。
怖い思いをしたことがないせいだったかもしれないが。
自分は自分。そう思っていた。
それが変わったのは、子育てをしてから。
世の中、怖いものが多いと思うようになっていった。
この世界で、小さな、弱い生命を守るのは自分しかいない。
その思いが、私を「強い母」ではなく、「弱い生き物」にしていたのだと思う。
そうして何十年かがすぎて、私の生活は大きく変化をしている。
今も、決して広くはないけれど、世間さまとの付き合いはある。
そんな中で、今私は周囲の目を気にしていないことに気がつく。
他人に対しての自分をとても気にしていたのに、いつの間にか、どんな自分であってもそれはそれで良し!と思うようになっていた。
もちろん常識はずれは論外だけれど、はずれていなければ気にする必要はないし、人に無理に好かれる必要なんて全くない。
むしろ、嫌われたとしても、なんの弊害もない。
この人に疎まれているとか、嫌われているか?とかを考えることさえ必要ない。
そう思うようになっていた。
母は、常識がかなりぶっ飛んでいる人なので、手前味噌だが私とは少し違う。
人は人なんだ。自分とは違う。
無理に合わせる必要などないし、所詮、人間はひとり。
母に流れていた思いを、今になって引き継いでいる感がある。
もっと、早くに目覚めていれば、人生は楽だったし、楽しかったかもしれない。
でも、私が気づかないだけで、もっともっと前に変わっていたのかもしれない。
周囲を気にしないとは言ったけれど、もめ事のタネは作らない方がよい。
歩み寄って理解すれば、より良い関係になるのであれば、歩み寄る。
先日、仕事の最中に、ご無体な目にあった。
責任を果たさず、面倒くさがって放置して逃げ切ろうとする相手に、業を煮やしてやってしまった。
やってはいけない舌打ちを。
顔も舌打ちしました!ってわかるように。
下品であることも、悪態であることもわかっていた。
そして、私は、一瞬であるが、わざと選んでやった。
相手は職場何十年の先輩である。私は3年にも満たない。
そんな新入りに舌打ちされて、驚いただろう。
この直後から、どんな風評が流れるかと考えた。
結果、ひと月ほどたつが何もない。
本当はあるのかもしれないけど、気にしない私には届いていない。
下品、呆れる。
大人として良くない。
私は怒らないって、さっき言ったくせに。イライラもしないって言ったのに…。
とても、母に似ていて「同じ血」だな、と思った夏の終り。