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高市さんが総理大臣になってから、もう、二ヵ月。いや、まだ二ヵ月。
自分が生きているうちに女性が総理になる日がくるとは思っていなかった。
いつか、アメリカに初の女性大統領が誕生して、それから日本に初めての女性の「内閣総理大臣」が誕生する流れだろうと想像していた。
というより、いつか必ず優秀な女性がいたら昇りつめてほしいと願っていた。
だから、高市さんの3度目の挑戦はハラハラドキドキで見ていた。
なにせ、2度目の挑戦の時は、「いくんじゃない?」って思ったのに、また謎の流れで石破さんが総理になった。
日本って、やっぱりそうなんだな。
そう思いながらの3度目…。
総裁になり、総理の指名の時も少しハラハラしたけれど、ここまできたらもう必ず総理になると信じて、テレビの生中継を見入った。
高市さんの指名が確定した時の、高市さんのまっすぐ先を見つめていたあの「目」が今でも甦る。
いつまでも、覚えていたい。
働いて働いて、働いて。
ワークライフバランスを無視した発言が当初から、そして今も問題になっている。
一体、何を言っているんだ!と私は思う。
働いて働いて馬車馬のように働くことに、何の文句がある。
寝る間を惜しんで勉強して、国の為に働くことに何の文句があるというのか。
私も働くから、私に合わせて国民の皆様も働いてね…。
そんなこと言っていない、一言も。
議員の皆には暗に言ってはいるけど。
何にでもケチをつけるこの情勢、いったい日本はいつからこんな国民性になったのか。
まぁ、高市さんは、そんな外野の意見は耳に入っても、働くだろう。
働いて働いて働いて。帰宅してから介護をして。
その道をあえて選んだのだから、働いてもらいましょうよ。
今までのご苦労もすべて、エネルギーに変換して、働くのです、高市さんは。
私は、なんの権力ももたない、低納税者だけど、高市政権支持します。
たとえ、いつかこけたとしても、日本の為に働いてくれる人を応援したことは後悔しない。
「老害」への入り口
いつから「老害」という言葉が出てきたのか知らないけれど、言い得て妙だと思う。
会社員だったころ、尊敬していた上司(うんと上司)の変遷を何度も見てきた。
憧れさえ抱くその姿勢に、明らかに「変化」が出てくる。
老害より先に、社内での権力に溺れる姿を見てきた。
会社での立場という根拠はあるけれど、いつから周囲のすべてを把握しているような錯覚に陥ってしまうのだろう。
そして、その錯覚は、ほとんどの場合気が付かずに老いに向かって「老害」と影で呼ばれてしまう。
私も会社員の頃、そんな多くの人を見てきたから、きっと立場的にも自分はそんな「老害」にはならないだろうと思ってきた。
「老害」の警告
秋にパートの仕事を辞めた。
たまたま丁度、手の病気にかかり、ハードワークの中では治りそうもなく(どんどん悪化する)「手を休める」というのを理由に退職をした。
手のことは事実だけれど、退職の理由としては完全な「言い訳」で、これがなくても辞めるつもりでいた。
ただ、きっかけというより踏ん切りがつかなくて、ズルズルと歳ばかりとってきた。
あそこで仕事の最後を迎えることは考えられず、考えるとゾッとするほどイヤだった。
だから、手のことはある意味「背中を押して」もらったのだと思う。
もともと、最後となる仕事は、ガシガシと働くつもりだった。
もちろん、職種がイヤで辞めるのだから、同じことはしない。
ただ、あまり職種にこだわりはない方だと思っている。
何かの作業の「駒」のひとつとして、ガシガシと働きたいと思ってきた。
もう、名誉を得たいとか、立場が上がりたいとは微塵も願っていない。
だから、最後の仕事を探す用意をしていた。
そんな時に「高市総理」が誕生した。
思いっきり触発された。
高市さんは、早生まれで、私より学年では1年下になる。
私自身は、自分の年齢は仕事をする上では「老人」の枠に入ると常に思ってきた。
まだ働かなければ、生活ができないから、働く。
家にいてもしょうがないから、外に出る。そんな呑気な立場ではない。
だから、立場も収入も、「それなり」であることを理解してきた。
ただここで、突然、燃えるように考えが変わった。
自分の40年の会社員として学んだことがこの社会の役に立てると思った。
そして、そうでなければと思いこんだ。
「老害」の出来上がり
思い込むと非常に単純な性格なので、私はまだ世間の役にたつと考えた。
自分の培ったことを、今の(これから就く)会社や組織に役立ててもらいたい、また
そうでないと勿体ない、と思い込んだ。
もしかしたら、いつかそれで評価されることもあるかもしれない。
私の「出来る事」「やってきたこと」を教えてほしいと言われるかもしれない。
また、そうならば、是非教えたいと思った。
自分の経験値が、次の組織には必要だ。まで、考えた。
そんな紅潮した思いを持ちながら、ハローワークにも行った。
この年齢の就活の厳しい実態を聞きながらも、私はこんなことができる。
まだまだ、以前やっていたあんな事もできる。
そんな話をしてきた。
してきたが、その時点では、状況の概要を聞くだけにしてきた。
ChatGPTにも、これまでの経験や、意気込みなどを書き連ね、尋ねた。
ChatGPTは決して、諫めない。 まずは最大限に褒めてくれる。
私の野望が叶うような回答をくれる。
そこでまた、いい気になってゆく。
早く、どこかに勤めなきゃ。
私のできることを知らせなきゃ。
そんな思いを抱きつづけた。
経験値ならば、この年齢でも大丈夫。そう思い込んだ。
そう思い込んでいたのは、つい、一週間くらい前までのこと。
私はこの時点で、見事なまでの「老害」に達していた。
どこかからの「啓示」
結局、冷静に自分の立場を考えていた頃から、「老害」に至ったのは、おそらくひと月くらいのことだったと思う。
にわか的考えだったのかもしれない。
私は根本的には、まだ社会の役に立つだろうとは思ってきた。
でも、もう出しゃばる立場ではないということをわかっていた。
わかっていたのに、いきなり、未来が明るいような気持ちになった。
高市さんに触発されたけれど、高市さんと自分を並べて考えるなんて、今思うと実に恥ずかしい。
もちろん、一連のことは、高市さんにはなんの責任もない。
高市さんを頭において考えたこと自体が申し訳なく、恥ずかしい。
つい数日前。
こうして私の考えは、また突然に変わった。
自分の考えが「老害」になっていることに驚いた。
自分の考えに危険を感じた。
どんなきっかけかはわからない。
神様や仏様、あるいはご先祖様が、夢にでも表れて、考えを軌道修正してくれたのか?
そう思うくらいに、冷静になり、自分の立場を見直した。
本当に、誰だったのだろう。
もしかすると、「老害」になっていたこと自体が、何かに憑依でもされていたのかもしれない。
それほど、今とあの時とが違う。
これからは、もちろん働くけれど、ひとつの「駒」に徹しようと思う。
そして、その思いはあの時期以外ではずっと同じ気持ちを持ちつづけてきた。
ただ、戻ってきただけのように思う。
かくして、「老害」は簡単に陥ってしまうものだと、身を持って知った。
長い時間をかけて、学習し鍛錬してきたことを次世代に残したいという思いは理解ができる。
そういう機会があれば、老いた者も、これから歩む者もわかりあっていけるのなら理想だけれど、もう、そんなことはそうそうないだろう。
私も、駒のひとつで雇ってもらったのに、私の時代を引き合いに出し、良かれと思って口を挟みこむ。
良かれと思っているから、恐らくは笑っている。
止められなければ、どんどん口を挟む。
そして、いつか、周囲の冷たさや影での嘲笑に気づいてしまう。
私の何がいけなかったのよ! などとのたまってしまう。
そんな近い未来が、そこにあったのかもしれない。
あぁ、良かった。気が付いて。
私は60代のうちに、最後の仕事を終えるつもりでいる。
70歳からは、どんな理由があろうが、生活苦になろうが、外では絶対に働かない。
これは固く決めている。
そして、目指すべきところは…。
「もう少し残ってくれないか?」
この言葉をいただくことだ。
それが、私の社会人としての勲章だと思っている。

