65歳の日記

夏日

今年は夏が早かった。

いつもは明確に「初夏」を感じたけれど、今年、私に「初夏」はなかった。

…… 気がする。

そう言えば、昨日は7月5日だった。

2025年7月5日で、一部騒ぎがあったけれど、私も実は春頃には気にしていた。

くるとしたらどんな災害だろうか。隕石だろうか、地震だろうか。

生き延びることは出来るだろうか。

身内の中で自分だけ生き残ったらどうしようか。

そんなことを一瞬考えたけれど、すぐにその感情は忘れた。

そうして迎えた7月5日。

私が少しでも覗いたからだろうけれど、私のyoutubeのオススメページは7月5日に関しての話題が並んでいた。

こんなに騒いでいるんだ…!って改めて思った。

埋め尽くされる「7月5日」に気持ちはどんどん冷めていく。

日本全国でおこっている地震を「当たった」とする人はいるそうだけど、そんなの毎日あちこち地震あるんでしょ?

なんか、ヒマなんだろうなぁ。

そう思いながら、今日を迎えた。

昔、ノストラダムスの予言は信じていた。

中学生だったか、高校生だったか、本気で考えていた。

関連書籍も買って読んでみると、ノストラダムスの信ぴょう性がますます高まって、1999年7月が恐ろしかった。

1999年、私は40歳を迎える年だった。

10代の私は「40歳なら死んでもしょうがないか」と思っていた。

そうして今は65歳の夏日を迎えている。

自分がいる

今の時代、見るものも聞くものも、好きにできる。

興味があったら見続けるし、聞き続ける。

面白くなかったら、即、そこから離れる。

言葉が氾濫しているから、受け身の好き放題にできる分、やっぱり便利だと思う。

聞き続けていて、「あぁ…、君もかい」と残念に思う言葉がある。

それが「自分がいる」という言葉。

そうは思いながらも、反対にはそれに反目している「自分」の存在を表しているような表現。

これが、私はすごく苦手というか、嫌いだ。

何かで、ふんふんと聞いていても、この「自分がいます」が続くと途端に興ざめしてしまう。

アンタも、自分がいるんかい! と笑ってしまう。

それまで、その言葉の主に対しての気持ちが下がってしまう。

きっと、この表現が好きで、あちこちで使っているのだを想像する。

私はきっと使わない。嫌いだから。

本当に肉体としての自分の事をいうのを除いて。

先日も「自分がいる」に建て続けに遭遇したから、チャットGPTさんに聞いてみた。

ここ20年くらいから頻繁に見かけるけど、発祥はなんだとおもいますか? と。

答えは、

1990年代後半から2000年にかけて、自己啓発本や心理学の本が一般的に読まれることによって、自分を客観視するようになった。それからブログやメディアで使われるようになり若い人を中心に一般的な言葉となった。

こんな感じの答えだった。

納得した。

私もせいぜい20年くらいだと思っていたから。

誰かが、20~30年前に「自分がいる」を使って、それをカッコいい!と思った人が真似て、それが広まったのだろうと思っている。

私もおそらく、当初は「カッコイイ」と思ったに違いない。

でも、こんなに当たり前にそんな俯瞰した表現が出てくると、鬱陶しい。

まったく、カッコ良くなくて、むしろカッコ悪い。

あぁ、また、自分がいるのかい。

せっかく、ここまで聞いたのに、さようなら…  と、なってしまう。

出来るなら、身近にいる好きな人たちには使ってほしくない言葉だ。

倒れる、という言葉

倒れる

倒れた

頻繁に目にするし、耳に入る。

メディアではなくて、実生活でも頻繁にふれる。

私が思っている「倒れる」と、実際に使われる「倒れる」に大きな差があって、私は聞くたび(読むたび)に戸惑う。

私の「倒れる」は本当に一瞬で意識を失って足もとから崩れることだと認識している。

そうやって身内を失っているから、それ以外の使いかたをしない。

だから、高熱で倒れたとか、過労で倒れたとかの言葉が苦手だ。

もちろん意識がなければ、それは倒れたなんだけど、意識もあるし話したりできるなら

安易に使ってほしくない言葉だ。

私にとっては、倒れた = 死が近い。そこまでの想像を一気にしてしまう。

だから、意識があったりの軽度なら是非「寝込んだ」とかにしてもらいたい。

自分で寝床に入れる人は、倒れてはいない。 と、私は思っている。

つい先日もyoutubeのなかで「倒れた」があって、37度で寝込んだことを言っていた。

そんなことなんだろうか。

それで、正しいのかな。

そう思ったけれど、これは多分私がうるさいだけに違いない、と思う。

とてもじゃないけど

「とてもじゃないけど」

この言葉は笑う程度に苦手(笑)

とてもじゃない…って、それって、「とても出来ない」ってことでしょ?

なんで、否定文になるの?って。

誰が使い始めて、流行らせたの?

とてもじゃないなら、無理したら出来るってことでしょ。

なら、やってよ。

って、流れになったりしないのかなぁ(笑)

これを考えるとき、私は自分がへそ曲がりだなって、つくづく思う。

昔、友人二人にこの思いを言ったら「そういうとこよ」って言われた(笑)

これは目をつむるしかないだろう。

こんなに更新が滞っているのに、訪問をしてくださる人がいます。

一人か二人かわかりませんが、リピーターさんもおられるようです。

申し訳ない! 貴重なお時間を…! って思っています。

今日も「夏日」といいながら、まったく関係のない文章をあげています。

こんな感じですが、時々はなにかを語ろうと思います。

偏見が多いブログですが、よろしければ頭の片隅においてください。

2025年 夏日

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