65歳の日記

池中玄太80キロ

西田敏行さんが亡くなったニュースをみて、珍しく「エッ」って声が出た。

ごく最近、車椅子で移動されている姿はネットで見たけれど、まだまだお元気だと思っていた。

実際、お元気だったのだと思う。

なんだか、突然亡くなられると、色いろな思いが噴き出してしまう。

西田さんと言えば、私は断然「池中玄太80キロ」

実際、撮影当時の西田さんは80キロ以上あったそうだ。ご自身が仰っていた。

土曜日の9時くらいの放送だったように記憶している。

カメラマンの玄太はいつもビニールのような帽子を被って、大きな一眼レフのカメラを肩から下げていた。

妻の子連れの再婚後、急に妻が亡くなって、3人の子どもの父親になってしまった。

最初は、子どもは見ないつもりだったけれど、流れで見ることになった。

この時に玄太が三女の弥子ちゃんに「来るか?」と聞いて、同居となったはず。

決して、美しい愛だけのドラマではなかった。

なさぬ仲の難しさもたくさん描かれていた。

でも、玄太は心根が暖かくて、とてもやさしい。

時々遭遇する性根が優しい人。

玄太はそんな人だった。

玄太はいつもお金に困っていて、よく同僚のヒデさんにお金を借りていた。

ヒデさんは会社の仕事以外でも小金を稼いでいたので、なんやかやと言いながらも貸してくれる。

池中家の3人の子どもには「伯母」がいる。

亡くなった鶴子さんの姉だ。

この伯母が子ども達が可愛くて、池中家に干渉もしてくるが、お金も出してくれようとする。

玄太はありがたがって、借りようとするが、伯母からの愛がある故の干渉に気を悪くして結局、穴をまくるようにその好意をしりぞけてしまい、そして後悔をする。

そんな事を繰り返していた。

あの伯母さんの干渉がお決まりで、私は好きだった(伯母さんは「高田敏江さん」)

玄太といえば…「いまやろうと思ってたのになぁー」

上司のナンコウさんに怒鳴られて、いつも言い訳をしていた。

この手の言い訳。私もよく頭に浮かんでいた。

玄太を見ると、結局は大きな愛情に圧倒をされる。

シリーズの特番だったと思うが、最終的に玄太はアッコと再婚をして、女児をもうけた。

そして、長女の絵里も結婚して女児をもうけた。

玄太が家に帰ると、自分の娘と孫に抱きつかれて、喜びにあふれる。

そうして、物語は終わった記憶だが、合っているかな。

玄太、大好きだった。

西田さんが当たり前にお年を召されたので、玄太の面影はなくなったような気がしていた。

でも、私(私たち)の中で、玄太は今でも走り回っている。

あの番組で玄太を取り巻いていた、多くの人も亡くなってしまった。

いい人が集まって、いいドラマを見せていただいたと思う。

昭和の名作だったなぁ。

ありがとう池中玄太。80キロ。

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