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昨日の私の誕生日。
実は飼っていたワンコ(チワワ)の四十九日にあたる。
動物にも四十九日があるかどうかわからないけれど、看取った飼い主である娘が簡単な法要をしているようなので、あることにしたい。
15歳と2日で亡くなった。
前の犬を亡くしたあとに、娘がおそらく私を元気づけるために件のチワワを飼った。
私自身は前の犬に対しての未練が抜けなくて、チワワを飼うことには賛成はしていなかったけれど、娘が最期まで自分で見るというので迎えることになった。
結局、結婚後の出産で、チワワを預かることになったので、私が14年くらい一緒に暮らした。
半年間、まったく懐かなくて、気性も荒く、犬というよりも「狂暴な猫」を思わせた。
それが、半年たった頃に急に懐くようになり、遊んでほしいと足にからみつくようになり、それがきっかけで、急激に可愛くなった。
ずっと一緒に暮らしていて、このまま最期まで看取るだろうと思ったが、娘が飼い主として最後は責任をもつということで、昨年の秋(2023年)に引き渡した。
泣く泣く手放した。
申し出があった時に、きっぱりと断らなかったから(本気じゃないと思った)その間に孫たちがチワワを待つようになってしまい、私が引けなくなってしまった。
本当に泣く泣く手放した。
日常の中で、犬の存在は大きかったので、私の生活は大きく変わってしまった。
家にいる時には、いつも視界に入っていたので、心も景色もぽっかりと穴があいてしまった。
でも、チワワは娘宅が好きだったので、にぎやかな生活で、きっと嬉しかったに違いない。
手放してから初めて訪ねて会った際、その一瞬だけ私の足にからみついてきたが、その後はもうまとわりつくことはなくなった。
チワワはチワワで、私に捨てられたと思っていたのかな?と、ふと思ってしまう。
14歳と半年まで、本当に元気で、新しい犬種かと思うほどに逞しく、小ぶりの柴犬かと思うほどの体格と体力だった。
それが、それ以降に少しずつ足の衰えが見えるようになって、ついには病気が見つかった。
さいごはメラノーマの癌で急激に痩せて、そして亡くなった。
私は最期には会えなかったけれど、新しい?家族に看取られて、声をかけられながら天に戻っていった。
その夜、会いに行った時に上の孫が「まろ、頑張ったんだよ」と教えてくれた。
そんな感じで、今年の夏は、暑くて悲しい夏になった。
今日、夕方買い物に向かう途中「犬とも」に会った。
すぐ近所に住んでいる方だけど、会うことは滅多にない。
チワワの前はゴールデンレトリバーを飼っていたので、朝晩の散歩はしっかりとしてたから、その関係で上記の犬ともと知り合い、よく話をするようになった。
ゴールデンを亡くしてからはチワワの散歩は回数も距離も断然短くて、会う機会はほとんどなくなっていたし、犬とものワンコ(コーギー)も亡くなった。
目と鼻の先に暮らしていても、共通のことがなくなると、年に1回も見かけることさえない。
犬ともは近所のワンコ友だちが多くて(犬も人間も)顔が広かったけれど、私とゴールデンは人間、犬、共に友だちはまったくいなかった。
唯一の友だちが上記の犬ともだった。
バッタリあって私はチワワの事を話した。
チワワの事は、傷がまだ浅いので、ほとんど誰にも伝えずにいる。
なんだか、話す気になれない。
それなのに、犬ともには世間話のように話せた。
涙が出るわけでもなく、胸が痛くなることもない。
淡々と、時に笑いもまじえて話をした。
死後、娘宅に犬の気配を感じることがあっても、私の自宅にはまったくそんな気配さえない。
それを言うと「いや、来てるよ。見てるよ絶対」と言ってくれて、嬉しかった。
なぜ、こんな話ができるのだろう。
友人にさえ言えないのに。
きっと、おそらく、お互いに飼い主としての気持ちがわかるのと、ゴールデンとコーギーの友情があってこそのような気がする。
今日は、良い日になった。