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今週からNHKの朝ドラが新しくなった(9月29日~)
「ばけばけ」というらしい。
前作の「あんぱん」も見たから、このまま続けて見ようかと思っている。
私はあまり朝ドラは多くは見ていないので、続けて視聴するのは珍しい。
「ばけばけ」は小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)セツ夫妻の物語らしい。
私は多分、「耳なし芳一」と「雪女」くらいしか知らない。
「耳なし芳一」の作者がどうやら日本人じゃないようだ…と知ったのは多分、大人になってから。
これからどんな物語になっていくか、楽しみ。
今は子役さんだけど、来週くらいには大人になっているのだろう。
それにしても…だ。
やはり出た。
どうしようもない父上。
物語りには、必ず「どうしようもない人」が出てくる。
こんなことして、どうするのよ。
見るからに騙されているじゃん。
どうやってここから逃れるつもりよ。
ギャラリーながら、あ~ぁ… と、ため息が漏れる。

今回も、武士から何年もステップアップを出来ずにいた「父上」に儲け話が転がり込んで、最初こそ莫大に儲けて、さらなる儲け話のワナにひっかかって、本人が行方をくらます。
定番だ。
もう、手に取るように想像ができる転落に、見る側はやっぱりな…と思う。
ドリフだったら、客席の子ども達が教えてくれる段階だ。
なぜ、それがわからない? と思うけれど、そこには150年以上のタイムラグがある。
でも、どの時代もいるな。
やっちまう人。
そして、肝心なのは、このやっちまう人がいないとドラマにはならない。
平穏なドラマなんて、誰も見ない。
いくらでも、大波を引き起こしてくれる存在がドラマには必要。
でも、これはフィクションではないから、当の家族はやはり大変だ。
昔、メリルストリープが好きで、彼女の映画を片っ端から見た時期がある。
その中の「心みだれて」のシーンのひとつ。
集団カウンセリングの中、主人公ではないけれど、悩み多き人たちがそれぞれの悩みを打ち明ける。
どれも、不幸せな話。
家族問題、恋人問題、経済的問題、病気の問題。
抱えたらどれも本人には大きな問題で、解決は難しい。
そんな告白を順番にする中で、ある女性が、告白者が順々に話している間中、どんどん悲嘆にくれて泣き顔になってゆく。
そして、何故自分にはそんな出来事が発生しないのかと嘆く。
なぜ自分は平穏なのか。
私もそんな不幸がほしい。
みんなと同じように、泣いてみたい。
そう嘆いて、参加者から叱られていた。
平穏な幸せがあって、なんて贅沢な…と若い私は思った(もちろん面白くて笑った)
そして、それはつまらないかも…と、老齢になった私は思う。
世の中には、たまに、本当に悩みのない人はいるのかもしれない。
何もかもうまくいって、幸せだから、それに気づかない人がいるのかもしれない。
しかし、それじゃぁ、ドラマにはならない。
ドラマにはどうしようもない、やっちまう人が必要だ。
今回の父上は、いつまでやっちまう人なんだろうか。
私はそこに暴力がはいると、途端に嫌悪感になるが、今回の父上にはそれが無いように見えるので(今のところ)可愛いようにさえ思えてくる。
これは大げさに表現しているのかもしれないけれど、ノンフィクションではあるはず。
本当の苦悩はあっただろうし、これから悲惨な事態になっていくに違いない。
もう過去だからと割り切って、他人の家の話だと割り切って、楽しく、時に険しく見ていけばいい話ではある。
私の親も相当にどうしようもない人たちだった。
それでも、本人たちの寿命の中で、生きて、そして旅立った。
そうして、過去の物語になる。
私も、どちらかというと、どうしようもなく、やっちまう人のほうだ。
だから、私が消えたあと、数十年でもたったら面白い「お話」になるのかもしれない。
間違いないのは、平穏な波風ないドラマは誰も求めない。
