66歳の日記

定番中の定番

今週からNHKの朝ドラが新しくなった(9月29日~)

「ばけばけ」というらしい。

前作の「あんぱん」も見たから、このまま続けて見ようかと思っている。

私はあまり朝ドラは多くは見ていないので、続けて視聴するのは珍しい。

「ばけばけ」は小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)セツ夫妻の物語らしい。

私は多分、「耳なし芳一」と「雪女」くらいしか知らない。

「耳なし芳一」の作者がどうやら日本人じゃないようだ…と知ったのは多分、大人になってから。

これからどんな物語になっていくか、楽しみ。

今は子役さんだけど、来週くらいには大人になっているのだろう。

それにしても…だ。

やはり出た。

どうしようもない父上。

物語りには、必ず「どうしようもない人」が出てくる。

こんなことして、どうするのよ。

見るからに騙されているじゃん。

どうやってここから逃れるつもりよ。

ギャラリーながら、あ~ぁ… と、ため息が漏れる。

今回も、武士から何年もステップアップを出来ずにいた「父上」に儲け話が転がり込んで、最初こそ莫大に儲けて、さらなる儲け話のワナにひっかかって、本人が行方をくらます。

定番だ。

もう、手に取るように想像ができる転落に、見る側はやっぱりな…と思う。

ドリフだったら、客席の子ども達が教えてくれる段階だ。

なぜ、それがわからない? と思うけれど、そこには150年以上のタイムラグがある。

でも、どの時代もいるな。

やっちまう人。

そして、肝心なのは、このやっちまう人がいないとドラマにはならない。

平穏なドラマなんて、誰も見ない。

いくらでも、大波を引き起こしてくれる存在がドラマには必要。

でも、これはフィクションではないから、当の家族はやはり大変だ。

昔、メリルストリープが好きで、彼女の映画を片っ端から見た時期がある。

その中の「心みだれて」のシーンのひとつ。

集団カウンセリングの中、主人公ではないけれど、悩み多き人たちがそれぞれの悩みを打ち明ける。

どれも、不幸せな話。

家族問題、恋人問題、経済的問題、病気の問題。

抱えたらどれも本人には大きな問題で、解決は難しい。

そんな告白を順番にする中で、ある女性が、告白者が順々に話している間中、どんどん悲嘆にくれて泣き顔になってゆく。

そして、何故自分にはそんな出来事が発生しないのかと嘆く。

なぜ自分は平穏なのか。

私もそんな不幸がほしい。

みんなと同じように、泣いてみたい。

そう嘆いて、参加者から叱られていた。

平穏な幸せがあって、なんて贅沢な…と若い私は思った(もちろん面白くて笑った)

そして、それはつまらないかも…と、老齢になった私は思う。

世の中には、たまに、本当に悩みのない人はいるのかもしれない。

何もかもうまくいって、幸せだから、それに気づかない人がいるのかもしれない。

しかし、それじゃぁ、ドラマにはならない。

ドラマにはどうしようもない、やっちまう人が必要だ。

今回の父上は、いつまでやっちまう人なんだろうか。

私はそこに暴力がはいると、途端に嫌悪感になるが、今回の父上にはそれが無いように見えるので(今のところ)可愛いようにさえ思えてくる。

これは大げさに表現しているのかもしれないけれど、ノンフィクションではあるはず。

本当の苦悩はあっただろうし、これから悲惨な事態になっていくに違いない。

もう過去だからと割り切って、他人の家の話だと割り切って、楽しく、時に険しく見ていけばいい話ではある。

私の親も相当にどうしようもない人たちだった。

それでも、本人たちの寿命の中で、生きて、そして旅立った。

そうして、過去の物語になる。

私も、どちらかというと、どうしようもなく、やっちまう人のほうだ。

だから、私が消えたあと、数十年でもたったら面白い「お話」になるのかもしれない。

間違いないのは、平穏な波風ないドラマは誰も求めない。

「にほんブログ村」に参加しています