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「令和の虎」をなんとなく、毎日見ている。
こちらから訪ねているワケではなくて、令虎さんがやってくる感じ。
そうか、そうかと今日はこれかと見ている。
特別好きとかではないけど、登録もしていないけど、気になるので放置ができない。
ここのところ、炎上回が多くて、炎上する回は私ももれなく一緒に炎上する。
私は実生活であまり怒ることがなくて、イライラすることはあまりない。
相手がご無体をしても、ツラっとして対応している。
「そんなもんだ」と「こんなもんだ」で流している。
若い頃は短気だったので、短気を使い果たしたのだと思っている。
そんな私が、「令和の虎」では炎上する。
主催の岩井さんが、時に横暴なおじさんだからに他ならない。
でも、結局何度も見てしまうし、嫌悪感がないから、私は岩井さんを嫌いではないし、なにせ同じ歳なので(早生まれの岩井さんが一つ上級生)わかる部分も多くある。
ここで岩井さん、また燃えるか?って思うと、意外にそうでもないこともある。
よく泣く人でもある。
7月に大炎上をおこして、数日後に「引退」の発表があった。
てっきり、大炎上のせいかと思ったら、病気の引退だった。
お元気そうだったけど、転移もあるとのこと。
厳しいんだろうなと思った。
自分の記録を残すと言っていたけれど、記録部分は1本しか見ていない。
近く行うと言っていた生前葬では、顔が見れると思っていた。
9月18日、仕事が終えた時。
スマホを開けると、岩井さんの部下の方が目にとまった。
とっさに思った事は当たっていた。
早い…と思った。
病気を知ったのは、わずかひと月半前。
いくらステージが高いといっても、こんなに早い?
生前葬用のドッキリ? そんな不謹慎なことも考えた。
私は身近な人が割と早逝だったので、あまり年齢で死を考えてこなかった。
長く生きることが正解と思ってこなかったし、それは今も変わらない。
だから、若く亡くなっても天寿かと思うことが多い。
やるべきことを成し遂げた人の「ご卒業」だと思っている。
私自身も仕事を終えて卒業することを望んでいる。
だから、いつもなら、しょうがないしそれだけ人生全うしたんだなと思うけれど
岩井さんのご訃報はだいぶ違う。
はかない。
こんなにも、はかないものか。
いつも通りの生活を送ることの出来る私たちのひと月と、病気と闘う人のひと月はまったく違う。
闘う時間さえ与えられず、日に日に生命の火が細くなっているのを自覚させられ、抗うことも出来ない。
闘うと言っていたのに、頑張ると言っていたのに、その時間さえなかった。
与えられた時間が短すぎる。
生きる気持ちがある以上、治す努力をしたかっただろう。
それが出来ずに、時間をすごしただろと思うと痛ましい。
誰かのご不幸を聞くと、驚きだったり残念だったり、悲しかったりする。
岩井さんのご不幸では「はかない」と思った。
そのはかなさがいつか自分にも訪れるかもしれないと思うと、身につまされる。
よく泣く岩井さん。
少し悪かった子どもが立ち直るきっかけに、「親の涙」がある。
もう、オヤジを泣かせたくない。
そんな涙を思わせる光景を、岩井さんには何度か見てきた。
置いて行く人たちを思って、泣いただろうか。
戻ると言っていたの、ついこないだだよ、岩井さん。
知り合いでもないのに、身近に感じていた。
少し、寂しい。